大字銭亀沢村字本村ヨリ字湊ニ到ル中間ニアリ。眼界広濶眺望絶佳、其ノ何レヨリ此ノ坂ヲ攀登スルモ其ノ頂ニ達スレバ、石ニ簃蹲シ草筵ニ趹□シ先ヅ一服ト煙草ヲ手ニスルモノ少ナカラズ。此ノ坂ノ南方海ニ突出スル処乃チ黒岩ノ本体ニシテ、斗峻矗立巌石磊々海岸稀ニ見ル奇観ヲ呈セリ。
此ノ岩石中ニ日持上人七字ノ題目ヲ書セリト云フモノアリ。就テ験スルニソノ痕跡ナク唯旅人ノ年号等ヲ落書シタルヲ見ルノミ。サレド岩石ノ裂罅カノ題目ノ書体ノ如ク太ク細ク斜下スルモノ多キガ故ニ海水之ヲ浸タセバ恰モ題目中ノ或ル字ニ類スルモノアルカノ如シ。之レ此ノ口碑ヲ作リシ所以カ。将又年諸ヲ経タルノ結果墨色殫亡今之ヲ知ルニ術ナキモノカ。兎ニ角古来有名ノ古跡ト稱ス。
附記此ノ稿ヲ編述セル筆者ノ記述ハ前記ノ如シサレド大正七年七月更ニ本誌ヲ編ムノ任ニ當リタル余ノ黒岩ノ実地ニツキテ或ハ嶮巌ヲ攀ヂ或ハ苔衣ヲ剥ギテ検索セルトコロニヨレバ、海岸浪打チ際ヨリ距ル数間、約地上ヨリ八尺岩石ノ裂罅ニ下ノ如キ形ニテ其ノ痕跡ヲ止ムルヲ発見シヌ。「蓮華エ」惟フニ題目中ノ「蓮華経」下三字ナルコト明ラカナリ。三字ノ上ニ更ニ分明ナラザルトモ字体ナルコト判然タル墨跡アリ。岩石ノ色書記ノ文字ト其ノ色ヲ等シクスルガ故ニ、之レニ海水ヲ注ギカクル時ハ劃然トシテ浮ビ出ヅベシ。後人ノ物セリトシテハアマリニ時代ツキスギタリ。而モ矗立セル峻壁、物好キニモ程アリ。確ニ口碑ノ本体トモ思ハルレド確證ナシ。記シテ後日ノ考證ニ待ツ。
附記文字ハ普通ノ墨ニアラズ。漆ノ如キモノ也。