火砕流の最大到達距離と垂直方向の移動距離

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 落差から求めるH/L値は、恵山では、0.08〜0.09の規模の大きなものが1万年に1.4回発生し、H/L値が1.0以上のものは最近1万年に4回発生していることが判っている。また、荒井(1998)の階段図の中に示した2本の細い実線は上が噴出量測定、下が時間予測を意味する。これによると現時点で0.3立方キロメートル程度のマグマを噴出する可能性を持っており、100年以内に噴火する可能性が高いことが読みとれる。しかし、荒井の示した階段図は、噴火年代および噴出量の見積もりが厳密でないため、長期的予測としても決して精度の良いものではない。
 大きく見ると、恵山の火山活動の開始時期から徐々に、活動中心が東に移動していることが判る。しかし、Es-P3火砕流の発生以降で考えると、噴火地点は火口原を取り囲むように配列している。御崎溶岩および水無溶岩の噴出とスカイ沢溶岩の噴出の、どちらが先であったかは地質情報から読みとれないが、外輪山溶岩ドーム群が形成された後の噴火活動は山体南東部に集中している。さらに、歴史時代のEs-6噴火(AD1846年)の噴火口は、歴史記録に『旧噴火口轟鳴発焔烈敷……』(開拓使日誌)とあることから、現在噴気をあげている大地獄火口付近と考えられる。また、流部の凹地形に対比されることが知られている(勝井ほか、1983)。さらに、火口下東部から恵山溶岩ドームの山頂につながる登山道路の北東斜面にも、噴気活動のため変質したと考えられる岩石と凹地形が確認でき、この付近を噴出源とする噴火活動があったことが推測される。また、現在噴気をしている地点は、恵山溶岩ドームの北斜面と北東斜面および、外輪山溶岩ドーム東部390メートル峰周辺である。
 噴火現象毎の実績図を作成する場合、実績図は地質図と異なり、現在は侵食によって失われてしまった噴出物の分布や堆積物として残っていないが、災害がおよんだに違いない範囲も考慮にいれて示されるものである(宇井、1997)。このため、堆積物の分布範囲とは多少異なる範囲を示す。

図3.22 火砕流堆積物および火砕サージによる堆積物分布(最近2万年間の噴火による)(荒井,1998)


図3.23 火砕流堆積物および火砕サージによる火山災害実績図(最近2万年間の噴火による)(荒井,1998)

 図3.22には、スカイ沢火砕流以降に噴出した火砕流堆積物および火砕サージ堆積物の分布を併せて示し、これを基に作成した実績図を図3.23に示す。図3.23では、最近2万年間に火砕流あるいは火砕サージが1回しか到達していない。元村火砕流堆積物は構成物組成から判るように、爆発的噴火と推測されるやや発泡の良い軽石からなる堆積物と、溶岩ドームの部分崩落に伴うと考えられる軽石をほとんど含まず緻密な溶岩塊からなる堆積物とが見られる。すなわち、駒ヶ岳1929年噴火のように噴煙柱が崩壊して発生するスフリエール型の火砕流と、雲仙普賢岳1990〜1995年噴火のような溶岩ドームが崩落・破砕して発生するメラピ型の火砕流の両方の災害を経験している。火口原東部〜東麓にかけての区域および南麓の恵山・柏野〜御崎地区には、過去複数回火砕流および火砕サージが到達しており、これらは海への流入も行われていることが判る。柏野・恵山両地区は、とくに、最近2万年間では規模の大きな2つの火砕流、Es-MPおよび、Es-Skpflにより被災している。火砕流と同じように破壊度の高い現象であり、しかも火砕流よりも広範囲に広がり、堆積物を後世にあまり残さない火砕サージも、元村噴火の際には椴法華村銚子まで到達していることが判る。そして、これが最近2万年間の火砕流あるいは火砕サージの最大到達距離となり、その距離は約5キロメートルである。この5キロメートルという値は、国土庁(1992)が示した危険区域予測のための指標では小〜中型の火砕流の分類に入り、雲仙普賢岳(1991年)や桜島(1984年)で発生したものと同規模である。H/L値でみると、0.08〜0.09という比較的流動性の高い火砕流は、2万年間に3回程度、火口原および流走方向にある谷を下る比較的規模の小さな火砕流で、火砕サージは1万年に4回発生している。
 恵山周辺で確実に確認できる恵山起源の降下火砕堆積物は、元村噴火の際の細粒火山灰のみである。恵山の山体が位置する範囲で10センチメートル以上の厚さで堆積しており、噴火当時は一時的な植生の枯死などが見られたことが推測できる。また、火口原および東麓にはEs-5やEs-6が径5ミリメートル程度の軽石を含み、厚さ10センチメートル程度ずつ降下している(図3.24)。このほか、実績図で示した区域内でEs-3噴火およびEs-4噴火による火砕サージ発生に伴う細粒火山灰の降下や、Es-SkpflおよびEs-Skdc 形成時の灰かぐらなどによる災害があったことも確実である。

図3.24 降下火砕物による火山災害実績図(最近2万年間の噴火によって堆積した降下火砕物の最大層厚cm)(荒井,1998)


図3.25 山体崩壊による火山災害実績図(恵山火山の発達史をとおして地質から確認できる山体崩壊堆積物の分布)(荒井,1998)

 堆積物として確認できる山体崩壊の証拠は3つ存在する(図3.25)。岩屑なだれ岩塊としてZ-Mを含むことからおよそ3〜4万年前と推定される、恵山西部岩屑なだれ堆積物Ko-hの下位にあることから約2万年前の形成が推測される、スカイ沢山体崩壊堆積物、約1000年前のEs-3岩屑なだれ堆積物の3つである。図3.25の分布範囲はいずれも航空写真の地形判読および地形図の読図に基づいているが、現地で堆積物も確認した。推定されるこれらの堆積物のH/L値は0.12〜0.18で、いずれも規模は1立方キロメートル未満である。これはSiebert et al.(1987)が示した0.1〜1立方キロメートルの規模の岩屑なだれのH/L値は0.18〜0.09の範囲に入る。また、Es-3daを収録しているUi,et al.(1986)のH/Lグラフ上にEs-WdaおよびEs-Skdc の値もプロットしてみた。その結果、ほかのデーターに比べて規模は小さいものの、岩屑なだれ堆積物としては一般的なH/L値を持つことが示された。地形図や航空写真では、このほかにも山体崩壊跡と考えられる地形や流れ山地形(?)が存在するが、堆積物の証拠が認められなかった(例えば、外輪山溶岩ドームの火口原側斜面および北側山麓、椴山溶岩ドーム南東斜面)。
 上述した災害要因のほかにも、溶岩や噴出岩塊、ラハール(火山泥流)、火山ガスなど火山災害には種々の災害が考えられ、実際に報告されている(例えば、宇井)。その中で、恵山で実績として示されるものは溶岩ドームの存在に見られる溶岩の噴出であり、歴史記録にみられるラハール、洪水、地すべりである。これらは噴火の際、最初に発生する災害ではなく、噴火活動の後半あるいは噴火時期の降雨あるい振動などによって二次的に引き起こされたりすることが多い。恵山の場合、地形的影響などのために、火山活動の有無に関わらず洪水や地すべりが発生することも多かったと考えられる。また、溶岩に関しては第1章第4節および図1.21、22で示したように、全般に噴出物のSiO2wt%は58〜65と、やや粘性の高い傾向が見られる。このため、溶岩はドームあるいは潜在ドームとして存在し、玄武岩質の化学組成をもつ火山に見られるような、溶岩の流走はなかったと推測される。しかし、御崎地区などに見られる急峻な地形上を流れ下った可能性はある。
 噴出岩塊については地質からは確認されていない。しかし、火口原および御崎・柏野・元村などでは火口の開口方向によって、径の小さな岩塊が着弾した可能性もある。火山ガス・空振などによる災害は地質から不明である。