後北式土器に後続した続縄文時代最後の土器が北大式土器である。札幌市の北海道大学構内から出土した土器を標式とし、当初は後北E式土器とよばれていた突瘤文の手法は続縄文文化の終末にサハリンから南下してきた鈴谷式、十和田式土器の影響を受けたものである。後北式土器の要素と擦文式土器に共通する要素が混在した土器で、新しい段階になると縄目の文様はうしなわれ、沈線だけの文様となりしばしば土師器の坏などをともなう。口縁部に外側から内側への突瘤文が巡るのが特色である(第55図1~2)。北海道のほぼ全域に分布し、一時期は東北地方宮城県北半まで分布するが、道南では函館市汐
泊川遺跡などで発見されるもののこの時期の遺跡は少ない。
北大式土器の時期には黒耀石製の特徴的な円形をしたスクレーパーが使われるだけとなり、鉄器の供給が多くなっていたことを示している。この時期は、北から南下してきたオホーツク文化などの北方系文化と、南から北上してきた古墳文化が接触・衝突を繰り返す中で新しい文化複合が成立しつつあった時期と考えられる。
第55図 北大式土器(1、札幌市N162遺跡、2、恵庭市ユカンボシE9遺跡)
鈴木信「北大式期以降の墓制について」シンポジウム『海峡と北の考古学』資料集Ⅱ、日本考古学会 1999年度釧路大会実行委員会、1999