行政編を記述するに当たり、少し理屈っぽくなるが『行政』の概念、あるいは機能について大まかにふれておきたい。
『行政とは』
国家の統治権の三種別「立法権・行政権・司法権」の1つで、『立法により形成された公共の意見や目的(法令)に基づいて国あるいは公共団体の執行機関が業務を行うこと』と定義づけられる。この三権について、近代国家では多くの場合、国家権力の乱用を防ぎ国民の権利・自由を確保しようとする原理から、立法・行政・司法のそれぞれを独立した機関(わが国の場合「国会」「内閣」「裁判所」)に担当させ、相互に抑制・均衡をはかる三権分立の制度を執っている。
平たくいえば、国会が決めた法律や予算に基づき実際に政治を行うことを行政という。
『内閣(政府)』
この行政のしごとをまとめている最高の機関が内閣(政府)である。内閣は国全体の行政を分担・執行する機関の中央省庁(職員は国家公務員)により組織され、行政全体の指揮・監督する内閣総理大臣(首相)と各省庁の指揮を執る数名の国務大臣により構成されている。中央省庁は、国家の発展に伴う組織の拡大・肥大化(省庁の業務を補強する多くの特殊・公益法人などを抱えて)が財政を圧迫したり、機能低下などをきたしていることから、行政システムの改革が叫ばれ、2001年1月6日には、以下のように1府12省庁に再編された「内閣府(国家公安委員会・防衛庁)・総務省・法務省・外務省・財務省・文部科学省・厚生労働省・農林水産省・経済産業省・国土交通省・環境省」。なお、同年4月26日発足の小泉内閣は総理大臣と17名の国務大臣(1府12省庁の国務大臣と・科学技術・金融・経済財政・行政改革担当の4国務大臣)で構成されている。
『地方行政』
行政が国民1人1人にきめ細かく行き届くためには、中央省庁の機能を補い、それぞれの地方の要求を汲み上げ執行する(地方行政の)機関が必要である。これが、先の定義にある『公共団体の執行機関』、すなわち、都道府県・(区)市町村であり、なかんずく(区)市役所・町村役場はこの地方行政の最前線にある執行機関である。
『役場のしごと』
ここで、私たちの生活と役場のしごとについて、具体的な事柄をあげ述べてみる。
私たち恵山町の住民は、役場に「住民登録」をし、町内に住所を定め生活している。私たちに子どもが生まれれば、役場に「出生届」を提出しその子どもも住民と認められ、学齢に達すれば、役場・教育委員会から入学案内があり「義務教育」を受けることになる。また、私たちの子どもは、放課後や休日に町立の児童館や図書館や体育館やプールを利用したり、役場・教育委員会が催すスポーツ大会や各種イベントに参加し楽しむことができる。義務教育を終え高等学校への進学を希望している生徒が、保護者の経済的理由により困難な場合、役場・あるいは国からの「奨学金」を受け進学することができる。
以上、教育を例に、住民・児童生徒が、役場・教育委員会から受ける「サービス」の具体的事項について述べたが、これらは翻(ひるがえ)っていえば「役場・教育委員会の行うしごと」である。役場・教育委員会の行う「しごと」はこれらにとどまらず、校舎の建築、グラウンドなどの教育の場の環境整備、登・下校などの安全対策、教材や教具の充実、教職員の人事・資質の向上などの学校教育関係のしごと、幼児から成人・高齢者までの生涯学習計画、それらに伴う予算の配分などなど、幼児・児童生徒・成人・高齢者まで、住民の生涯に関わる教育の様々な分野にわたっている。なお、これらの「しごと」は基本的には法令に則って行われる。したがって、法令の改定や住民の要望よっては、さらなる「しごと」も生まれてこよう。こと教育に関する分野だけを見ても、その内容が実に多種、多様であることがわかる。まして、役場が行うべき「しごと全般」についてみれば、出生届・乳幼児の検診から介護保険・公営墓地の設置まで、それこそ“揺籠から墓場まで”の言葉どおり、その内容は住民の生活に関わるあらゆる分野に拡がっており、質的(専門性)にも、また、量的(予算)にも相当な規模であることが頷(うなず)ける。
役場職員(地方公務員)は、法令・法規に基づき業務を行う。役場の業務は、かつては「戸籍の整備や課税」「社会秩序の維持」「初等教育など」が主なものであり、これらは国の法令に照らし(準則)限られた内容であった。しかし、時代の発展、産業の発達、社会構造の複雑化、あるいは国民生活の向上とともに、法令の制定が多岐にわたり行われ、それに基づく行政の業務も拡大し複雑化し専門性をも帯びてきた。
特に、1960年代以降の高度経済成長期を経て、その傾向は著しさを増してきた。
例えば、道路や鉄道、港湾、空港など交通機関や上下水道・廃棄物などのインフラの整備。安全で豊かな生活を求めて、災害(自然・人為的)への対策、医療機関・教育文化機関の設置、自然環境の保護と住環境の確保。また、進みつつある高年齢化社会・社会保障などへの具体的な施策。価値観が多様化する中での幼児教育、義務教育は勿論のこと、高等教育あるいは生涯学習についても、様々な要求に応じなければならないのが現状である。郷土に照らしていえば、漁場開発・漁港建設の促進、観光事業など地場産業の活性化、歴史的な文化財の保護、地域文化の振興など、主とした業務の他にも、行政・役場として援助しなければならない業務も生じてきた。その他、日常的な住民へのサービスの仕事にも拡大してきた。これらに対応するためには、当然のことながら、それを担う役場職員の絶対数と専門性をもった職員の確保が必要になってきたわけである。
『役場の仕事の変遷』
具体的な資料をもとに、郷土の役場のしごと・職員数について、その変遷の一端を見てみることにする。
<尻岸内村沿革史>・昭和11年(1936年)第3部 第1類 執務方法ノ刷新ニ関スルモノ・尻岸内村役場吏員の事務分掌より
係名 担任 員数 摘要
出納(会計) 収入役 一名 産業・衛生組合、赤十字社、愛国婦人会兼
庶務土木係 書記一 書記補一 二名
税務財務係 書記一 書記補一 二名
勧業統計係 書記一 一名 製炭組合、畜産団体事務兼掌
兵事戸籍係 書記一 一名 在郷軍人分会事務兼掌
教育衛生係 書記補一 一名 社寺社会係兼務
○昭和11年(1936年)、尻岸内村の人口は6,330人。水産業を中心に産業が発展し明治39年(1906)2級町村制度施行以来30年を経て、行政的にもかなり成熟していたと思われるが、役場吏員の人数は村長を含め9名であり、この職員人数は、町村制度施行以来30年間殆ど変わっていない。
○平成12年(2000年)(人口4,624人・国勢調査 男2,223人・女2,401人)の恵山町は、役場職員数、一般行政・特別行政(教育職)合わせて95名、公営企業等会計35名、合計130名であり、これは、尻岸内村昭和11年(1936年)の、村長を含む役場吏員数9名の、実に14倍を超えている。
先にも述べたが、これは、国の法令化・経済的発展、社会的成熟にともない、郷土も発展し、社会生活の充実・住民の要望に応え、地方行政・役場の果たさなければならないしごとが増大し、しかも多岐にわたってきたことによるものである。いい換えれば、その「行政サービス」を受ける郷土の人々の生活が、それだけ豊かになってきたともいえる。
一例を挙げる。恵山町役場の「町民サービス課」の現在のしごと内容である。昭和11年(1936年)の尻岸内村役場吏員事務分掌には、存在しない係(課という組織も存在しない)である。この課の職員は課長を含めて8名である。その内容を項目的に挙げる。
①戸籍・住民登録、②予防接種、③国民健康保険、④国民年金、⑤老人医療、⑥衛生関係・ゴミの処理などの環境衛生、⑦社会事務・日本赤十字社・民生委員・保護司・行政監察員など、⑧季節労働など、これらのしごとの多くは法令・法規に基づくものであり、この他、町民サービス課の名前が示すとおり、住民からの要望があれば“すぐやる課”としての機能を発揮しなければならない。例えば、過疎地の現状と要望から、花嫁募集のイベントの開催なども実施している。60数年前の郷土・役場では考えられないことである。こういった類(たぐい)の要望は年々増加の傾向にあり、現実にはカバーしきれない実態にある。
いうまでもなく町職員の人件費は町の予算等(公の予算)で賄わなわれている。役場の組織機構、事務分掌の充実、それに伴う職員数の増員は、郷土の人々の生活の充実・発展、満足度を満たすために行われてきたことは確かである。しかしながら、昭和34年(1959年)の町の人口10,595人をピークに、昭和44年以降毎年減少し続けている。少子化・高齢化から、さらなる過疎化は必至であり、当然、町の収入(税金)の伸びは考えにくい。経済学者や識者の見通しからも、かっての爆発的な景気が再び訪れることはまず考えられないし、巨額の国債発行による国の経済の活性化には否定的である。町の重要な財源である地方交付税・公共事業費等の増額も見通しが暗いし、むしろ削減の方向にある。前述したが、国は中央省庁の統廃合を行い行政システムの改革を積極的に進めており、行政の権限を大幅に地方へ委譲する抜本的な試案も問われている。と同時に広域行政・市町村の統合についての構想も現実味を帯びてきている。
行政は生き物である。行政とは、その定義に記したとおり「立法(国会)により形成された公共の意見や目的に基づいて、国(政府)や地方(道・町)が業務を行うこと」であり、その立法権を有する議員を選ぶのは国民である。すなわち、行政を動かすのは基本的には『地域住民の声・要望』なのである。そして、それを実現させるためには住民1人1人の政治に対する権利の行使(選挙・選挙運動、議会の傍聴など)や市民運動(住民投票や署名活動など)が不可欠になってくる。税の負担を増やしても、現在(いま)以上の行政サービスを期待する“大きな政府”を選ぶのも、また、税負担を軽くし、地域住民の自治力に委ねる“小さな政府”を選ぶのも、行政をどう生かすかは、国民・住民の意志なのである。少なくとも行政が、郷土も含め、現状で推移するとは考えられない。
この編では、郷土の成立過程と、自治体としての行政の足跡、特に『役場のしごと、組織機構・事務分掌や職員の数等』の変遷を中心にしながら、わが郷土の発展について述べていきたいと思う。これを通し、これからの地方行政のありかたを構想するとともに、住民の行政への関わりかたについての認識が深まること、町づくりへの積極的な参加を期待するものでもある。