農産物統計に見る農業の変遷

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昭和20年(1945)~35年(1960) 農水省函館統計事務所『農産物統計表』より
 この期間は人口が急激に増加した時期でもある。因みに、昭和20年、復員者等の転入により6,888人、前年度に比して778人の増、翌年は400人余り減少したものの以降、毎年増え続け、同34年には10,595人(恵山町の人口が1番多かった年)となり15年間で凡そ1.5倍の増加率を示している。久々の平和の訪れで、出産ブーム(後に団塊の世代といわれる人達)に沸いた時期でもあり、1世帯平均6~7人という、大勢の家族を抱え食料を確保するのは容易ではなかった。とりわけ昭和20年代は食料の生産量が消費量に追いつかず、30年に入り農産物の種類・量とも増加し生鮮食料品などの流通も整ってはきたが、漁家の収入は安定せず経済的な面からも、自分たちの食物は自分たちで作らなければならなかった時代である。
 農林水産省函館統計事務所の『農産物統計表』によれば、この時期、わが郷土では、米以外のあらゆるものを栽培していたようである。以下列記する。
 
○主食にかわる比較的生産量の多いもの
 じゃがいも・かぼちゃ・とうもろこし・大豆・小豆・いんげん・えんどう・菜豆
○生産量は少ないが米に混入などして食したもの
 きび・あわ・ひえ・そば・えんばく
○漬物、惣菜など日常的に食していたもの
 だいこん・にんじん・かぶ・ごぼう・ねぎ・キャベツ・はくさい・つけな・きゅうり・ほうれんそう・なす・トマト・さやえんどう・ ささげ
○その他、微量ではあるが果樹、牛馬の飼料、緑肥など
 うめ・ブドウ・青刈とうもろこし・青刈えんばく・クローバー・チモシーグラス・オーチャードグラス・そらまめ(未成熟)・牧草類
 
 当時、御飯に代わる食物(当時代用食と呼ばれていた)の代表格としての『じゃがいも』について、その生産量を見てみる。(別表参照)昭和25年の作付面積132.6町、生産量238,508貫(894,405キログラム)この年の総人口8,386人であるから、単純計算で1人当たり、約106.7キログラム、大人から乳幼児まで中位のじゃがいも(1個80グラム)3~4個毎日食べられる量が生産されていたということになる。これは大変な量である。これら生産されたじゃがいもは澱粉にも加工され、いろいろな食材の調理に使われ食膳を賑わした。
 この期間、じゃがいもは勿論、他のかぼちゃ、豆類、とうもろこし等、主食に変わる作物も年々作付面積が広がり、栽培技術の向上と相補(あいま)って生産量も増加している。また、大根・人参・ごぼう・キャベツ・白菜など、保存の利く野菜類の生産が増え、栽培する作物の種類も多岐に亘り、昭和30年代に入ると食生活は相当豊富になってきていた。
 ただ、この期間も水田は無く、国全体としての米の生産量も消費を賄うだけにはいたっていなかった。したがって、不足分は東南アジア等からの輸入に頼っていたわけであったが、わが国で生産されている品種(ジャポニカ種)と味が異なり、また品質管理が悪く一般的には不評であった。