開拓使は広大な北海道の開発を進めるために、緊急の課題は幹線道路の建設・整備であると考えた。
主要な沿岸道路については安政年間(1854~60)後期幕領時代、幕府警備の諸藩・場所請負人や篤志家の努力により開削整備されていたが、内陸部、特に山道については前期幕領時代に開削された道も、大部分は崩壊し、通行に相当難儀をしている状況にあった。
このように政府・開拓使は道路建設を急務としながらも、明治元年、勃発した戊辰戦争に全力を尽くさなければならなかった。この戦いの影響は大きく、終結後も執行体制はなかなか整わず、事業に着手したのは明治4年(1871)のことである。
こんななか、前述、明治3年の東本願寺の道路建設願出は、政府・開拓使にとって渡りに船であり、又東本願寺側にとっても明治維新政府とのパイプを強めたいとの思惑で一致したとも言えよう。