鉄道のない下海岸路線は乗合自動車、また貨物自動車にとって、当時、いわゆる「ドル箱」路線と考えられたのは当然のことである。そこで、運輸省はこの路線に「省営自動車」の運行を企図したらしい。以下その新聞報道である。
『下海岸に省営自動車運転 -函運で実情調査-』
昭和7年7月23日付函館毎日新聞より
下海岸に省営自動車運転に関しては愈々函館運輸事務所の手で基礎調査を開始され、目下材料の蒐集を進めているが、同地方は年間を通じて積雪量が割合に少なく、自動車の年中運転が可能であるのと将来鉄道の敷設も現在のところ殆ど見込み薄く、然るに地方物資は海産農産を通して相当豊富にあり、現在も個人会社経営の自動車運搬を実施しているのであるが、かかる経営法では道路の改修も満足に行わず、料金も比較的効率である等の関係から、地方一般民の希望としても省営自動車運転の実現を期待していて、之等の実情にかんがみそれが速進を図る為に、函館運輸事務所の手で同地方の経済調査開始を見るに至ったもので、調査の完了を待ち本省(運輸省)に対し希望意見としてその実現を禀申する筈であると。
省営自動車とは、運輸省の経営する国営バス(国鉄バス)である。
これに対して民営の下海岸自動車は、乗客の利便性を考慮して、路線の始発を函館駅構内としたい旨の申請をしている。これは列車と繋げることにより、将来、省営自動車と競合した場合の不利を何とか防ごうとしたものではないかと思われる。
以下、その新聞報道である。
『下海岸自動車 駅前から直通運転-同地方の発展に対応-』
昭和8年1月27日付函館毎日新聞より
函館市を経由して下海岸地方に行く旅客は函館駅に下車後、旭自動車若しくは電車により一旦湯の川々尻で下車し、更に下海岸自動車会社のバスに乗換えていたのであるが、最近同地方の発達につれて来往客も著るしく増加し、この中継交通が乗換えの不便あるばかりでなく、鉄道との連絡にも遺憾の点が多いというので、一般関係民より鉄道や自動車業者に頻々と申出がありこれに刺激されて、下海岸自動車・旭自動車・鉄道の三者が提携して駅前より同地方への直通運転を実施したらと、業者より鉄道当局の意向を確かめにきているが、鉄道側では次のようにのべている。
「結構な事ではあるが、実現迄には相当研究を要する事で、現に旭自動車は駅構内乗入れを認可されて居り乍ら、その利用の香しくないのは実際列車・連絡船からの連絡客が予期した程無い為であろうと考えられ、今回下海岸自動車が始発点を駅構内に延長使用というのも、趣旨は賛成で当方では別に支障ないが、実現には尚相当困難な事情が伏在していると考えるから、何れ適当な機会に旭自動車と鉄道と三者が集まって、打合せの上案を練っての事と考える」
鉄道側の回答は意味不明である。「下海岸自動車が始発点を駅構内にするのに支障はないが、実現には相当困難な事情が伏在している」、つまり、支障はないが(伏在している問題があるので)困難であるということになり、省営バスが具体化していたことは事実であろう。それが中止になったのは、軍から国鉄戸井線の早期建設の要請が強かったからではないかと推理する。国鉄戸井線については後述する。