昭和29年8月31日、従業員は函館バス労働組合を結成、基本給3割値上げを要求、会社側はこれを応じなかったため、労組は48時間のストライキに突入、紛争は長引き、地労委の斡旋で9月21日、ようやく双方の話し合いがつき21日ぶりで平常に復した。 その後労使関係もしばらくは小康状態を保っていたが、翌30年7月6日函バス労組は無期限ストに突入、11日には会社の車輌を労組が接収し自主運行を行うと、会社側は労組に加入していない従業員を使い廻送バスを奪還。この状態の中、とにかくバスを走らせて欲しい利用者は「労組の自主運行に必要なガソリンをよこせ」と会社に押しかけるなど、労使の闘争は利用者を巻き込み混迷を深めた。結局、地労委の斡旋で8月26日協定書が交わされストライキはとかれたが、バスは51日間全線完全ストップした。
労働組合の結成(団結権)や経営者との交渉権・要求貫徹のためのストライキ権は、労働者の基本的権利として、戦前の労働者階級の差別的な処遇に対する反省から、終戦後、GHQ(連合国総司令部)の指導の下、新憲法・法律に明記されている。
しかし、この函館バス争議によって、路線唯一の交通機関であるバスが停止し、毎日の足が完全に奪われた住民の怒りは、労働組合・会社側双方に向けられた。
住民の代表は役場に押しかけ、怒りと困窮状況を伝え、事態の善処を強く要望した。この事態を憂慮した前田尻岸内村長は下海岸路線村長らと共に、函館バス株式会社に赴き、会社側と労組側、双方に面談、バス事業の公共性や住民の困窮と怒りの声を伝えたが、双方主張を譲らず対立は深まるばかりであった。前田村長は、会社側も労組もバス事業の公共性・下海岸住民の実情を理解していない。また、労使関係や労働争議について余りにも未成熟であり利用者の迷惑を考える余裕がない、住民の代表の首長らがお願いしても解決のメドがたたないと判断。ただちに村議会に諮り、村費で貸し切りバスを雇入れ8月12日から25日までの14日、御崎・函館間の運行を行い住民の足を何とか確保した。