昭和30年の51日にわたる函館バス労働組合のストの反響は大きかった。
「鉄道沿線ならいざ知らず、交通手段をバス運行にのみに依存する下海岸路線のスト、それも51日間にも及ぶ運行停止は、余りにも地域住民の実情を無視したもの、これでは函館バス1社にばかり頼ってはいられない……」、沿線住民の不満と不信の声は高まった。昭和30年の運輸省の「運送事業者業務監査」での函館バス評価は〟稀にみる悪い会社〝との酷評を受け改善を命じられた(函館バス株式会社取締役社長、斉藤忠氏談話「函館バス20年のあゆみ」より)。
昭和31年4月、相互自動車株式会社と函館市交通局が、下海岸路線の乗り入れを申請し、東京(運輸省)に於て公聴会が開かれた。結果、相互自動車(相互乗合自動車)は、函館から恵山まで、函館市営バスは函館から銭亀沢村石崎まで(同時に大野・上磯線にも参入)が認可された。そして、この年6月1日から下海岸路線は、函館バスと相互バス・函館市営バスの競合路線となった。車輌台数91台の函館バスに対して相互バス僅か5台、と規模は違えど互いに競い合いサービス改善に努め、住民には歓迎された。函館バスはこのことが要因となり、右肩上がりで延びてきた業績も30年・31年度は減収となり、経営の抜本的な改善を迫られた。