1、青年団の設立

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 若者組が“掟”を「親睦と融和を図り、心身の鍛練と修養に努め、以て郷土発展の為に尽くす」などという綱領に替え、会則を定め「青年会」「青年団」を組織・活動するようになったのは明治も末頃からである。若者組が母体になった事は間違いないとしても、学校教育が着実に歩みだして、義務教育終了者・青年に対しての指導−実業補習学校での指導と自主活動を積極的に促す働きかけが、大きな契機になったといえるのではないか。




青年団の推移

 
 明治44年2月18日付『函館日々新聞』
   根田内青年会の総会を報道から
 亀田郡尻岸内村根田内青年会は、去る(二月)十一日紀元節を卜し、第六回総会を根田内小学校に於いて開催、来賓三七名、会長藤田兵作氏の開会の辞、君が代斉唱の後、渡辺根田内小校長の戊申勅書奉読、高橋、関口、村上、福沢諸氏の本会の目的事業に関する有益な演説等あり。藤田会長の音頭にて陛下の万歳三唱、近来なき盛会なりと。
 因みに役員改選の結果、当選者の氏名左のごとし。
 会 長 藤田 兵作
 副会長 落合 武夫
 理 事 村上 源作 佐々木才太郎 笹田 武一 佐藤幸太郎  砂山 清吉
 幹 事 副会長落合武夫兼務