[借用証文に記されている日浦神社の建立]

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 日浦村(現恵山町字日浦)に神社を建立したことを示す証文が残されている。
 この証文は3両の金子を、日浦村の小頭宇之助、同村内の藤吉・佐治兵衛・清十郎の4人(村人戸主全員と思われる)が連名で、高田屋(嘉兵衛)から借用した証文である。
 
 借用の理由・3両の使い道は「弁天様注文仕候所 御下り并ニ稲荷様拝殿相建付 金子入用ニ御座候……」とあるように、稲荷様・弁天様(市杵島姫命と弁財天との習合とおもわれる)を祀る拝殿・神社の建築費用である。証文の内容、当時の村人の信心から察するに、村の心の支えとなる神社を、専門の大工職人に依頼し立派な建築にしたかったのであろう。とすればこの金子の流用はあり得ない。証文の日付は文政9年(1826年)10月とある。日浦村の神社はこの年1826年、あるいは翌年か、また、そう遅くない時期には間違いなく建立されていたものと推察する。
 
      借用申證文之事
 一 金子三両也
  右之金子借用仕候處 実正ニ御座候 右者當年村方ニ而 弁天様注文
  仕候所 御下り并ニ稲荷様拝殿相建候付 金子入用ニ御座候得共村方
  ニ而 割合等も致兼 當惑仕候 問無據奉願上候所 早速御承知被成
  下 一統難有奉存候 随而御返済之義は 来ル亥より丑春迄三ケ年に
  金一両宛 無相違 急度御返済可仕候
  後日為念 借用申證文 仍如件
   文政九年(一八二六)
      戌十月     日浦村
                村中   藤 吉
                同    佐治兵衛
                同    清十郎
                小頭   宇之助
  ヤマタカの屋号 御印様