三十三観音
観音、観世音(かんぜおん)または観自在ともいう。観世音菩薩、現世利益思想を代表する菩薩で、来世往生思想を代表する阿弥陀仏とともに、仏教で最も信仰を集めている。
日本における観音信仰
観音信仰は仏教伝来の当初より行われていた。
現存する上代の観音像としては、「法隆寺」の夢殿観音・御物観音・百済観音・夢違観音』をはじめとして、「東大寺・大安寺・薬師寺・唐招提寺」などの聖(しょう)観音・千手(せんじゅ)観音・馬頭(ばとう)観音・十一面観音・如意輪(にょいりん)観音・不空羂索(ふくうけんさく)観音が有名である。すなわち密教的に展開したこれらの変化観音が信仰対象になっていったことは注目すべきである。それは招福除災の呪術性が、日本固有のシャーマニズム(未開宗教の1つ、神霊界との交流は巫女(シャーマン)によって可能とする。巫術(ふじゅつ))的信仰と結合した結果と考えられる。また、奈良時代には観音に関する多くの経典も書写された。さらに、奈良薬師寺の景戒が弘仁13(822)年頃に書いた、日本最古の仏教最古の説話集『日本霊異記』(3巻)には、雄略天皇から嵯峨天皇までの仏教説話116を収録しているが、その中に観音に関する16の説話が収められている。
インドにおける観音信仰
インドでは、2世紀に漢訳された経典に「観音」の名称が出ており、その信仰が存在していたことを示している。法顕(340年頃~420年頃)のインド旅行記『法顕伝』には、中インドで大乗仏教徒が文殊菩薩とともに「光世音菩薩」を供養していたこと。帰途、大暴風にあって「観世音」に航海の安全を祈念した記事がある。これも観音信仰が存在していたことを示す古い記録である。また、インド西海岸ボンベイ港近くのカーネリー石窟と呼ばれる洞窟寺院には、7世紀頃と考えられる「観世音菩薩十難救済の図」という彫刻が現存する。このような経典のほかに、インド美術資料からも観音信仰を考えることができる。
そして、インドにおいて仏教が密教的傾向を強めるとともに、「十一面観音」という変化像が現れてきた。この十一面観音というのは、十一最勝王と称せられるシバ神の転化と考えられている。このような密教的な変化はさらに強められて、次のような種々の観音像が現れた。すなわち千手(せんじゅ)観音、馬頭(ばとう)観音、聖(しょう)観音、如意輪(にょいりん)観音、不空羂索(ふくうけんさく)観音、准胝(じゅんて)観音この観音は唯一の女性の菩薩として崇拝されており、以上を「七観音」と呼んでいる。
もともと観音信仰は独立した信仰形態であり、その特色は現世利益を中心とするものであったが、あるときに来世往生思想をもった阿弥陀仏信仰と結びついた変則的な信仰が生まれた。すなわち浄土教の代表経典である『観無量寿経』のなかに「観世音観」を説き、勢至(せいし)菩薩とともに観音は阿弥陀の脇侍であるという思想である。これは『無量清浄平等覚経』にでる「観音補処(ふしょ)」、すなわち観音は菩薩の最高位をきわめ、次代には仏になることを約束されているとする思想の展開である。また『悲華経』にも同様の思想が現れている。
三十三観音とは
観音信仰は本来、法華信仰との関係が深いものであるが、奈良時代以来、日本では密教(註1)的色彩を帯びてきた。その後平安時代には天台宗と真言宗が相次いで成立し、『天台系の六観音および真言系の六観音』の信仰が広められた。さらに10世紀に入り律令体制が崩壊して摂関体制が成立し、貴族社会が出現すると貴族の霊場参拝が行われるようになった。11世紀後半から12世紀末の院政期になると密教的傾向とともに、新たに浄土教が貴族の社会に浸透していった。その結果、観音信仰は阿弥陀信仰とかかわりあいをもつものと理解されるようになった。同時に平安末期には、霊場参拝が民衆の間に広まり『西国三十三か所巡礼』という形式が生まれた。
この三十三という数字が観音信仰と結び付いたのは、鳩摩羅什(くまらじゅう)(344年~413年)訳の「普門品」に現れる、三十三身説話の思想である。ただし、「普門品の梵語本」には三十三身説話の記述はなく、「妙音菩薩品」に現れているのである。
この三十三か所巡礼信仰は、15世紀中葉に『坂東秩父の三十三か所霊場信仰』が形成され、観音信仰の民衆化は地方的に拡大形成してきた。
江戸末期から今日に至るまで、観音信仰は霊場参拝という形式と結び付いてきている。
日本における観音信仰史上特色のあるものに、まず、「日光」の名称がある。日光は以前は「二荒」と書き「ふたら山」と呼んでいたもので、すなわち観音浄土である「補陀落山」の転化したものである。日光は二荒を音読みとした当て字である。
また、キリスト教の禁止政策が徹底していた徳川期にはマリア観音像が現れた。これは、聖母マリアを観音像として礼拝することによって取締の目を逃れようとするキリスト教の知恵であった。
美術(仏教美術)でいう三十三観音
楊柳(ようりゅう)観音 龍頭観音 持経観音 円光観音 遊戯観音
白衣観音 蓮臥観音 滝見観音 施薬観音 魚籃(ぎょらん)観音
徳王観音 水月観音 一葉観音 青頸観音 威徳観音
延命観音 衆宝観音 岩戸観音 能静観音 阿耨(あどう)観音
阿麼堤(あまてい)観音 葉衣観音 瑠璃観音 蛤蜊(こうり)観音 六時観音
普悲観音 合掌観音 多羅尊観音 一如観音 不二観音
持蓮観音 灑水(しゃすい)観音 馬郎婦(めろうふ)観音
(註1)密教 秘密教の略称。タントラ教(ヒンズー教・ジャイナ教・チベット仏教などで用いられる秘密の教義。タントラの用語は、究極の心理に達するために、心身を清め生理的・心理的過程を制御する修業法を説く、ヒンズー教の聖典の名に由来する)と関係の深い真言乗・金剛乗の教説で、7世紀頃からインドのベンガル地方で盛んになった仏教をいう。
今日では一般に、ヒンズー教におけるタントラ教と区別して、中国で発展した天台宗や真言宗の、法身、大日如来の身・口・意の三密を説く教理を『密教』といい、それら純正なものであるとして純密などともいう。根本の仏陀を大日如来(Maha-Vairocana・大毘盧遮那仏)と呼び、密教は大日如来の所説であると主張する。諸仏諸尊ばかりでなく、従来の仏教では説かなかった多数の明王、仏教外の諸神・諸聖者もまた大日如来の現れだと解し、多くの民間信仰を摂取し、その趣意を直観的に表示するために大曼荼羅を構成する。『大日経』の説く曼荼羅を胎蔵界曼荼羅。『金剛頂経』の説く曼荼羅を金剛界曼荼羅と称する。衆生は本来仏性を具有しているから曼荼羅の諸尊を念じ、陀羅尼を誦し、印契(いんげい)などによる特別な儀式に与ることによって容易に究竟(きゅうきょう)の境地に達し、仏陀となることができるという即身成仏を説く。現世肯定的で情念を無視しない哲学である。