この地域も幾度かの氷河期を経過し、幾度も地殻の隆起(りゅうき)、沈降(ちんこう)、火山活動がくり返されながら現在の地質構造になったのである。
最初に古生層ができ、古生層が風化作用や海水、河水の浸食作用によって、礫となり、砂となり、土となって母岩の上に堆積して、堆積層が形成されたのである。
堆積層が形成された後、或はその年代と並行して、火山爆発、地殻の隆起、沈降が繰り返された。火山爆発の圧力と熱、地殻変動の圧力等の物理的、化学的な作用によって、古生層の粘板岩質や凝灰岩質のものが変質して、千枚岩質粘板岩や石灰岩質緑泥片岩(りょくでいへんがん)になった。
一方第三紀層の堆積層も、熱と圧力の作用によっていろいろに変化、変質したのである。
沖積期に盛んであった火山爆発は、古生層や第三紀層を貫ぬいて、熔岩流(ようがんりゅう)を噴出し、山頂から海岸地域に向って流れ、古生層や第三紀の堆積層を覆い、或る部分では海岸で止まり、汐首、原木、日浦などの岬の絶壁を形成したものと推定される。海岸に向って流れた溶岩流が、冷却(れいきゃく)して凝固(ぎょうこ)する時に、圧力も加わって、柱状(ちゅうじょう)や板状(ばんじょう)の節理ができたものであろう。又節理は火山活動の熱と圧力以外に、地殻の隆起、沈降の圧力によってできたものもあるだろう。
又熔岩流の流れた或る部分では、流れ山方式で、海岸の終末点から離れて、武井の島を形成したような現象もあったのである。
現在戸井地域の山々の山頂附近を覆っている岩石や、海岸の岩壁を形成している岩石、及び汐首岬、オカムイの岬、武井の島、原木の岬等を形成している岩石は、いずれも沖積期の火山活動の際の溶岩流と判断することができる。
この判断に誤りがなければ、戸井地域の地質、地層は、今から8000年乃至10000年以前といわれている沖積期以後には大きな変動がなかったことになる。即ち戸井地域の地形、地質、地層は沖積期までの間に構成され、それ以来大きな変化がなかったという結論になる。
瀬田来から館町までの地域、即ちヨモギナイ川、戸井川、蛯子川の流域で太平洋戦争中鉱石が堀り出され、各所にその跡が残っている。鉱石は殆んど黄銅鉱で、戸井川、蛯子川の鉱石を堀った場所から下流は、その鉱毒のため、昔たくさん上った鮭、鱒なども全然上らなくなりヤマベ、イワナ、アユなどの魚も全然棲まなくなり、死の川に化してしまった。
瀬田来の道路わきの変成粘板岩を貫ぬいて、相当深い坑道が堀られているが、いつの時代に、どのような鉱石を堀り出したものか古老も知っていないし、古記録にもない。
昔、小安でも鉱石を堀り出したことがあるが、くわしいことは不明である。
安山岩の柱状節理