戸井の人口が六千を越えたのは、明治四十二年(一九〇九)で六四七七人となり、七千を越えたのは、昭和十五年(一九四〇)で七四二四人となり、翌大正十六年は七七九一人となっている。以後九年間は六千代、七千代で、昭和三十年(一九五五)は八〇四一人で最高である。
昭和三十年をピークとして、漸減傾向を辿り、昭和四十二年(一九六七)から七千台を割った。昭和四十五年、昭和四十六年の六千六百代という数字は、四十年前の昭和六年(一九三一)の六八一五人以下である。十年単位に区切って人口の増減を比較して見ると、
昭和 六年(一九三一) 六八一五
昭和 十六年(一九四一) 七七九一
昭和二十五年(一九五〇) 七八三四 (昭和二十六年は資料なし)
昭和三十六年(一九六一) 七九五七
昭和四十六年(一九七一) 六六四六
これだけを見ても、戸井町の人口は、完全に漸減、過疎化現象である。四十年前より人口が減少しているという事実は重大な問題である。今後五年後、十年後に、人口が七千を越えるということは、余程の事情の変化のない限り考えられない。町村発展のバロメーターの一つは人口増であるが、人口の漸減ということは由々しい問題である。
人口減の原因はいろいろあるだろうが、ここ数年来の人口減から推定して見ると、中学校や戸井高校を卒業した子弟が殆んど町に残らないということ、更に青年層が都市の労務者として出稼ぎを繰り返しているうちに、他郷に落ちつくなどが大きな原因と思われる。
こういう状態を傍観していれば、近い将来人口六千を割る時期が来ることが予想される。