六、佐井村の人が宝物を探した話

334 ~ 335 / 1305ページ
 宮川神社が館町にあった明治の頃まで、この附近に宝物が埋められているという言い伝えがあった。明治の初期か中期の頃、対岸下北、佐井村の〓某という人が戸井に来て宮川神社の附近を耕作し、収穫した作物を船で佐井村に運んでいた。
 或年のこと畑を耕していて、カメを一つ掘り当てた。〓がカメの中を調べて見ると「カメを七つ埋めたが、その一つに宝物を入れておいた」という意味のことを書いた紙片が油紙に包まれてあった。〓がカメの出た附近を掘って見たが残りのカメは一ケも出て来なかった。
 そこで又は一旦佐井村に帰り、佐井村の人々を大ぜい連れて来て、そのあたり一帯に掘った。その頃はこのあたりに大木が茂っていたが、相当大きなオンコの木までも、根っこから掘り倒して掘った。カメは次々と出て来て五つ出たが宝物がはいっていなかった。宝物がはいっているという一ケは遂に発見できず、〓もあきらめ、佐井から来た人々が帰って行った。(宇美義蔵談)
 「文政四年(一八二一)戸井から六十二貫文の古銭や六尺四方の大きな石櫃が出土した」と『松風夷談』に記録されている場所は、〓が堀ったあたりである。
 〓がカメの紙片を見て宝堀りをしたなどということは、おとぎ話のようなものだが、昔岡部館があった跡なので、何かが土中に埋まっているように思われる。