昔、館町の〓沢田家のところに阿蘇(あそ)という床屋があった。床屋のおやじは、自転車競走の選手で、どこへ行くにも自転車へ乗って歩いていた。
或る年のことこのおやじが、日浦の婚礼に行き、祝い酒にしたたか酔っての帰り道、カラスガタにさしかかった。この頃海岸道路が開かれ、カラスガタの海岸縁にもコンクリートの防波堤が造られていた。阿蘇床屋は何を思ったものか、狭い防波堤の上にあがって、物凄いスピードで走り出した。床屋の後から来た人が「アレヨ、アレヨ」見ているうちに、防波堤の切れ目から自転車もろとも落ちて動けなくなった。
後から来た人が驚いて、床屋の倒れているところへ馳けつけて見ると、胸でも打ったのか「ウンウン」とうなっていた。よく見ると手から血が流れている。「床屋一体どうしたんだ」というと、床屋は「自転車競走をしたんだ」と答えた。このことを聞いた村人たちは「いくら床屋が自転車競走の選手でも、巾一尺五寸くらいの堤防の上を自転車で走るなどという芸当は、正気ではできる筈はない。むじなにだまされたのであろう」といい、「それにしても、よく海の方に落ちなかったものだ」と、当時の語り草になった。(堀田久善談)
○或る年の秋、〓谷藤の若い者が、一人でキノコ採りに行き、日が暮れても帰って来ないので、村中の人が出て山をさがしたら、同じ沢を行ったり来たりしていた。村人たちは「狐にだまされたのだろう」と言い合った。 (谷藤正行談)
○小歌のトンネルが開通した頃、夜に魚をダンツケ馬に積んで来ると、狐がトンネルの入口の上に待ち伏せしていて魚をとったという。
○昔、老婆が真昼に裸になって、戸井の川にはいって、「ああ、いい湯だ」といっていたという。狐にだまされたのだろうと村人が噂した。
○或る人が魚を持って夜道を歩いていると、見なれない男と会った。その男が「魚を売ってくれ」というので、売ってやり、家へ帰って見ると、お金ではなくて木の葉であった。
○夜道で狐にだまされ、ウドンだどいってミミズを食わされたり、ボタモチだといって馬の糞を食わされたというような話は、下海岸のどこでもあった話である。
○酒に酔って家に帰る途中、狐にだまされて、同じ所をグルグル廻っていた人がある。
以上のような狐やむじなにだまされたという話は今でも語り伝えられている。ラジオもテレビもなく、電灯もなかった昔は、夜になると子どもたちは炉端に集って、狐やむじなの話を大人から聞かされたものである。
炉辺談話には、体験した話、見た話、人から聞いた話を脚色したり、誇張(こちょう)したりして語り聞かせたものである。
昔は原木から小安までの到る所に、狐やむじなにだまされたという話があり、その頃は子どもだけでなく、大人でも夜道の一人歩きを恐れたのである。