大正四年十二月十四日午前五時三十分頃、瀬田来の小柳吉太郎のナガトロの鰮建網が、俄(にわ)かに襲った暴風のため危険にさらされたので、引揚げ作業をしていたが、狂濤激浪のため長さ四十五尺の起し船が転覆し、乗組員十二名のうち左記の八名が一挙に溺死するという大惨事を起した。
戸井村大字小安村 港 七之助 (三七才)
〃 小山内 巳之作(二五才)
〃 川島 年太郎 (二〇才)
〃 工藤 重太郎 (三七才)
〃 児玉 幸吉 (三七才)
〃 小坂 勘九郎 (三五才)
〃 沢野 吉太郎 (三八才)
〃 佐藤 熊太郎 (三五才)
戸井分署長菊地庫太警部が巡査二名を引率して、現場に駈けつけたが狂濤激浪の為、船を出すこともできず、傍観するより術(すべ)がなかった。
翌日風波もおさまって海上が凪ぎわたり、村中の漁船を出動させて屍体の捜索に当り、十八日までに八人の屍体を発見した収容した。