四、大宣寺(館町)

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 館町の大宣寺は真宗大谷派の寺院で、本山本願寺の末寺である。
 この寺院創建の由来は、明治十七年(一八八四)五月、石川県河北郡金津谷村字谷、本立寺住職寺西実明の養子寺西大宣が北海道に渡航し、明治三十二年(一八九九)戸井村に説教所を設けて布教につとめ、信徒が急激に増加したので、明治三十三年(一九〇〇)十月二十四日、信徒と協議の上、一寺創建を出願、明治三十四年(一九〇一)十月九日、寺院を創建し、寺号は住職寺西大宣の名をとり、大宣寺と命名した。
 大宣寺の敷地は四代宇美第吉、建物は金沢音吉が寄附したものである。
 この寺院の本尊は阿弥陀如来で、函館別院の荒木源理師が京都の某店から購入したものを、大宣寺開基、寺西大宣師が明治三十四年(一九〇一)十月九日、代価三十五円で譲り受けて安置した。大宣寺の創建はこの本尊を譲(ゆず)り受けた日としている。
 本尊阿弥陀如来像は曽て比叡山(ひえいざん)で信仰の対象としていたもので、千年の歴史を経たものと伝えられている。
 明治四十三年(一九一〇)十月十九日、宗祖上人の六百五十回忌を盛大に執行した。
 大正十三年(一九二四)五月十日、開基寺西大宣師が、六十五才で逝去し、寺西粂丸師が二代目住職を継承して現在に及んでいる。
 粂丸師の時代になってから幾度か、寺院及び附属建物の増改築を行った。
 
 本  尊  阿弥陀如来
 歴代住職  初 代  寺 西 大 宣    二 代  寺 西 粂 丸

大宣寺