当時の組合員は三五〇名で、当初は戸井村字小安の部落をも含め、釜谷・汐首・瀬田来の四部落をもって戸井西部漁業協同組合設立の動きがあったが、地域差、漁業権等の関係で小安地区が独立し、従って上記三部落をもって構成されたのである。
設立当時の経営状態は戸井漁業会より引き継ぎした不稼働資産と分担欠損金一〇〇万円のため、財政的に苦しい有様で、更に、昭和二六年に漁業権証券二、〇〇〇万円の無計画な運用のため、その殆んどが固定化または欠損金となり、昭和三一年三月末日に経済行為停止状態となる程であった。
昭和三一年四月一日、北海道漁業協同組合再建整備条例の指定を受けて再建整備計画が樹立され、五ケ年計画をもって次第に組合財政の整備再建が行なわれ、以降年毎に組合と漁民が一体となって意欲的発展的な計画年度が設定され健全経営へと発展していったのである。
事務所は戸井村字釜谷に本所を置き、戸井村字汐首と戸井村字瀬田来の二ケ所に支所を設置した。
本所は昭和二四年七月から昭和三〇年三月まで字釜谷一三番地(元戸井漁業会支所)にあり、昭和三〇年四月から昭和三二年八月までは字釜谷四一番地(築港事務所跡)におかれ、昭和三二年九月に字釜谷四一番地(漁港埋立地)へ移転され現在に至っている。面積は二四〇・二平方メートルで移転増築費用は四六八七、五九五円であった。
組合の沿革
昭和二四、 七、 一 戸井西部漁業協同組合設立。
昭和三一、 四、 一 再建整備第一年度。
昭和三二、 四、 一 再建整備第二年度。
昭和三二、 七、 四 事務所工事のため倉庫二階に仮事務所を設けて業務にあたる。
昭和三二、 九、一六 信用部新築落成式を行なう。
昭和三二、 九、一七 信用部店舗開店、漁民銀行として事業の自給資金を蓄積し、その安全確実な運用により組合員の経済生活向上をはかることになった。貯金吸収成積良好。
昭和三二、 九、二三 瀬田来支所新築落成式。敷地面積は二七坪。
昭和三三、 四、 一 再建整備第三年度。本年度は今までにない凶漁に見舞われ、信用部の事業推進計画のうち自給資金の蓄積は目標の六八%よりも達成できなかった。
昭和三三、 七、一七 組合管内婦人月掛貯蓄組合の団体結成式が行なわれた。
昭和三三、一〇、三〇 汐首支所の新築落成式が行なわれた。敷地面積は二五・八七五坪。
昭和三三年一二月の組合概況
組合員数―正組合員三三四名。
役員数―非常勤理事七名、非常勤監事三名。
職員数(計一七名)
本所―信用部三名、事業部六名。
瀬田来支所―信用部一名、事業部二名。
汐首支所―信用部一名、事業部一名。
運転手三名。
漁般数
無動力般四五三、一屯~一〇一屯六二、一一屯~二〇屯一一、計七三隻で殆んどが無動力船のため沿岸漁業振興助成条例による動力漁船整備がいそがれた。
漁業種類―鰮定置網、鰮抄網、こなご船曳、採藻、蝶延繩、雑延繩、一本釣、いか釣
この他北海道低位漁家振興対策要領にもとづき、副業として豚、鶏などの家畜の導入が行われ、農作物の収入や出稼ぎ収入も注目されてきた。
執行体制は組合長以下、信用部担当理事、管理指導部担当理事、事業部担当理事の三部門にわかれ、総代を五〇名として、それぞれ指導区域を設けて五~七名の組合員を受け持ち、あらゆる面に組合との連携を保ちながら地域漁業の振興をはかった。
共同施設としては、釜谷漁港(昭和三一年完成。工費六、六五〇万円で二〇屯級二〇隻入港可能)と組合自営製油工場(昭和二六年完成。いか油採油工場)があった。
昭和三四、 四、 一 再建整備第四年度。
昭和三四、一一、二三 ソ連の青年視察団五名が来所、管内青年部幹部と意見交換を応接室に於いて行なう。
昭和三五、 四、 一 再建整備第五年度。本年度は組合創立以来初めて販売取扱高が一億円を突破し、貯金は前年の四二%増を記録し、漁家の家計内容が好転すると共に組合の財務状況も正常化されるに至った。
昭和三五、 八、一七 水産倉庫新築落成式。
昭和三六、 四、 一 再建整備等六年度。本年度は組合創立以来初めて黒字経営に転換した。
昭和三六、 六、一四 奥尻からの種アワビ三〇、〇〇〇個を放流した。
昭和三六、 八、一五 江良からの種アワビ二〇、〇〇〇個を放流した。
昭和三七、 四、 一 黒字経営となって再建整備計画を完了し、組合整備強化第一年度として発足した。
昭和三七、一一、一五 冷蔵庫建設工事竣工。
昭和三八、 一、一六 突風により大災害発生。全町で死者一三名ほか漁船一八隻が沈没、大小破等の損害をうける。組合員全員殉難行方不明者の捜索に当る。
昭和三八、 一、二八 合同遺体捜索打ち切る。行方不明五名。
昭和三八、 一、三〇 潜水夫が一遺体を発見収容した。
昭和三八、 二、 五 海難者の合同葬を汐首小学校にて行なった。
昭和三八、 三、二〇 漁船用共同給水施設工事竣工。
昭和三八、 四、 一 組合整備強化第二年度。本年度は販売、購売総取扱高が二億円の大台を突破し、国内経済の成長に伴なう他産業の雇傭量増大により、出稼ぎによる収入増加が目立ってきた。
昭和三八、 六、二九 海難碑除幕式が行なわれた。
昭和三九、 四、 一 組合整備強化第三年度。本年度は国内経済の高度成長から経済構造にひずみを生じ、国際収支の悪化をきたして企業倒産が続出し、不況の風が吹きはじめた年であり、漁業に於いても昭和四〇年度からはじまる構造改善事業の受入体制を整えるため「沖合漁業への転換」「浅海資源の培養」および「漁家資本の蓄積」という三本の柱を設定して各事業が進められた。
昭和四〇、 三、一六 有線放送完成祝賀会が行なわれた。
昭和四〇、 四、 一 組合整備強化第四年度であると共に構造改善第一年度として発足した。
昭和四〇、一二、二〇 荷捌所、集会所、集荷所竣工式。
昭和四一、 二、 三 汐首漁業無線局運営開始。
昭和四一、 三、二五 釜谷漁港簡易郵便局開設。
昭和四一、 四、 一 組合整備強化第五年度。構造改善第二年度。
昭和四二、 四、 一 第二次組合整備強化五ケ年計画第一年度、構造改善第三年度。
昭和四二、 七、 二 釜谷港浚せつが行なわれた。
昭和四三、 四、 一 構造改善第四年度、組合経営拡充第一年度。
昭和四三、 六、一一 漁船登録一斉検認が行なわれた。
昭和四四、 四、 一 構造改善第五年度、組合経営拡充第二年度。
昭和四四、 六、 五 故酒井力蔵前組合長の準組合葬が施行される。
昭和四四、 七、 五 石油スタンドが開設された。
昭和四四、 八、 八 がぜ潜水器漁業開始。
昭和四五、 四、 一 組合経営拡充計画第三年度。
昭和四六、 四、 一 組合経営拡充計画第四年度。本年度の信用事業は水揚げ高の順調な伸びに支えられ、年度末には貯金残高四億八千万円、貸付残高二億三千四百万円を確保する良好な実績があげられ、漁船の大型化、近代化をはじめ住宅改善などにより漁業経営と生活環境の改善整備が大巾に促進された。
歴代組合役員
役員就任名簿一覧(戸井西部漁業協同組合) S四三年、二、二〇調以下追加記入
年度 | 組合長 | 理事 | 監事 | |||||||
24 | 館山悦三郎 (八月辞任) | 川岡弁策 | 酒井力蔵 | 佐藤栄太郎 (九月当選辞退) | 巽小一郎 | 吉崎岩吉 | 小柳富男 | 川村作蔵 | 鈴木寅吉 | 吉崎仁三郎 |
25 | 館山悦三郎 | 〃 | 川村清 | 吉田粂太郎 | 〃 | 吉崎仁三郎 | 〃 | 〃 | 境銀市 | 後藤亀雄 |
26 | 佐藤栄太郎 | 吉田勇一郎 | ||||||||
27 | 佐藤栄太郎 | 〃 | 〃 | 〃 | 三浦勝之 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 |
28 | ||||||||||
29 | 吉崎仁三郎 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 境市正 | 〃 | 戸松初蔵 | 〃 | 〃 |
30 | ||||||||||
31 | 酒井力蔵 | 〃 | 吉田勇一郎 | 三浦勝之 | 鈴木寅吉 | 後藤亀雄 | 館山己之吉 | 〃 | 米谷富克 | 高田幸太郎 |
32 | ||||||||||
33 | 〃 | 吉田勇一郎 | 森冨雄 | 〃 | 〃 | 吉村清 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 |
34 | ||||||||||
35 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 奥野喜好 | 〃 | 〃 | 〃 | 境梅太郎 | 〃 |
36 | ||||||||||
37 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 吉崎仁三郎 | 〃 | 米谷富克 | 〃 |
38 | ||||||||||
39 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 境梅太郎 | 南坪直夫 (四〇、一〇死亡) | 高田幸太郎 | 〃 | 〃 | 石亀喜代治 |
40 | ||||||||||
41 | 酒井力蔵 | 吉田勇一郎 | 森冨雄 | 〃 | 境梅太郎 | 南坪直夫 | 高田幸太郎 (四二、五辞任) | 〃 | 米谷富克 | 〃 |
42 | 吉田勇一郎 | 森冨雄 | 戸松初蔵 | 米谷富克 | 高田幸太郎 | 後藤重雄 | 森繁雄 | 下山明 | ||
43 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 森繁雄 | 〃 | 〃 |
44 | 南坪直夫 | |||||||||
45 | 〃 | 森繁雄 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 成田徳政 | 〃 | 〃 |
46 | ||||||||||
47 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 |