[戸井町の戦没者]

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 戸井町でも戦死、戦病死は日露戦争から始まり、亜港事変、満州事変、日支事変と何人かの戦没者を出したが、太平洋戦争に突入してから、壮丁者はすべて戦地に赴き、戦没者の数が激増し、一家から二人の戦没者を出した家もあり、遺族は悲嘆に明けくれ、働き手を失って生活に困窮した家も多かった。
 太平洋戦争が終結してからでも、二十七年の歳月を経過しているので、当時の遺族であった父母が死亡したりして、遺族の死に絶えた家もある。又戦没当時戸井町に居住していた遺族の中でも、諸種の事情で一家挙(こぞ)って他郷へ移住した人々もある。
 現在まで遺族が戸井町に居住しているものを、戦没者名簿から拾い上げて見ると次の九十九名である。このうち満州事変(ノモンハン)の戦没者八名、日支事変の戦没者十二名、太平洋戦争の戦没者は圧倒的に多く七十三名を数え、そのうち戦争末期の沖縄戦での戦没者は、短期間に二十一名の戦没者を出し、激戦の様子を物語っている。
 現在の戸井町の発展、我が国の発展は、これらの貴い犠牲の上に打ち建てられたことを忘れてはなるまい。

忠魂碑(弁才町)