四 刀剣

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1 短刀  銘「一秀」西浜町 布施家所蔵
   「一秀」は出羽国(山形県)庄内に住んでいた刀工で、天保十二年(一八四一)に六十九才で死去した人である。
 
2 短刀  銘「田子駿河守正弘、慶応元年秋」
   原木、佐々木弘美所蔵。田子正弘は奥州二本松に住んだ刀工である。
 
3 短刀(鎧通し) 銘「兼定作、安政四巳秋」
   館町 河村家所蔵。会津兼定の作である。
 
4 太刀  銘「師景」
   東浜町 芳賀竹松所蔵師景は応永年間の頃の刀工で、備前国長船村に住んでいた人。この太刀は二字銘だが、「備州長船住師景」と銘を切ったものもある。
 
5 戸井六社の〆切太刀  銘「戸井住国賀(くによし)作」
   この太刀は東浜町の芳賀竹松(号国賀)が、自ら鍛造研磨して、昭和三十年九月十六日、宮川神社に奉納したものである。古名刀と見誤るくらいの名作である。
 
6 脇差  銘「加州清光」
   原木の〓田崎家の先祖が、福島県河沼郡柳津村字中野から原木に移住した時に持って来た祖先伝来の刀であったが、昭和四十六年、〓田崎家の当主清松の没後函館市の某に譲渡して現在は田崎家にはない。
 
「註」 戸井町の日本刀
 戦前は戸井町にも日本刀が多かった。旧家には大ていの家に祖先伝来の日本刀があり、鰮、鮪大漁時代に、網元たちが買い求めたもの、函館戦争に敗れた榎本軍の兵士が戸井地方にも逃れて来て民家に隠れ、去る時に謝礼のしるしとして置いて行ったもの等、相当数の日本刀が家々に所蔵されていた。
 戦前、戦争中は、各網元で鰮の粕干しの時に、玉粕をくだく時に、日本刀で玉粕を切ったり、軍刀として戦地へ持って行ったりした。
 然し昭和二十年八月十五日に太平洋戦争が終結し、それから一ヶ月後の九月に、進駐軍の指示により、民間にある日本刀狩りが始まり、村々の警察が各戸を調べて、日本刀を出させ、預り証と引替えに日本刀を集めたのである。この時戸井の家々で所蔵していた日本刀は殆んど根こそぎに集められたのである。
 その中には相当の名刀もあったものと思われるが、警察が預り証を渡して持って行った日本刀は、その後どのように処分されたものか行方不明になり、預り証は反故(ほご)になってしまった。この時の日本刀狩りに、タンスの底にかくしていた短刀や、惜んで警察へ出さず、天井裏へかくしたり、縁の下や家の近くの土中に埋めておいたものだけが僅かに残ったのである。
 
   預 り 證
一、日本刀 二本(無銘、白鞘(しらざや))
  仕込刀 一本(破損セルモノ)
 右正ニ預り候也
   昭和二十年九月二十日
        函館警察署
 池田栄吉殿
 
 館町の〓池田家では前記のような預り証を大事に保存している。