九、北海道時代の概観

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 この時代は昭和二十年(一九四五)日本政府が終戦を決定し、八月十五日、天皇がポツダム宣言受諾終戦の詔書をラジオ放送し、太平洋戦争の終結した日から現在までである。
 日本国民にとっては全く意外な無条件降伏という形で戦争が終結し、国民は放心状態であった。国土は荒廃し、食糧物資は極度に窮乏し、輸送機関は麻痺(まひ)状態になり、明日からの生活に戸惑(とまど)っている時に、次々と進駐軍司令官マッカーサーの指令が発せられ、国民は為すところを知らないという期間が相当続いたのである。
 稍々(やや)落付いた頃に、明治憲法に代る新憲法が公布され、それに基いて北海道知事、市町村長、市町村会議員、教育委員等が公選制の名のもとに、すべて住民の投票によってきめられるという、民主主義時代になったのである。
 公選制の選挙で道民が驚いた始は、道庁の一係長であった田中敏文が、若冠三十六才で公選第一回目の北海道知事に立候補して当選就任したことである。
 道庁時代の長官は代々政府が高位高官の者を任命して来たことに馴れていた道民は、無位無冠の田中知事の出現によって民主主義というものを知らされたのである。
 進駐軍の指示指令によって、教育制度の大変革が行われ、急激にアメリカ流の六・三・三・四制が実施され、三年制の新制中学校は、校舎も教材教具も机もなく、教師さえも不足な中で設置されることになり、道も市町村も面喰った。
 終戦後の進駐軍指令による、あらゆる分野の大変革には、官民等しく戸惑(とまど)い面喰(めんくら)い、先の予想が全然つかず、国の将来はもちろん、自分自身をゆっくり見つめることのできない時代であったのである。
 然し二十数年を経過した現在では、すべての方面に落ちつきを取戻し、あらゆるものに順応し、過去を反省し、批判し歴史の流れを分析する余裕が生れて来たのである。
 「すべては時が解決する」とは至言である。
 然しただ時の流れが解決したのではなく、戦後二十数年間の国民の苦闘と努力によって解決されたことを知るべきである。
 戸井にも終戦後二十三年目に町制が施行され、「戸井町」として、新生戸井町の発展の第一歩を踏み出したのである。