国道二七八号線が恵山町と椴法華村を結んでいるが、椴法華村から海向山の丘陵を上り、山地にさしかかる矢尻川の上流域は絵紙川からさらに栳岱川にいたる。この栳岱川を上ると左岸段丘がある。これは河岸段丘で丘陵はなだらかな傾斜で畑地になっているが、栳岱川からみると低い面と一段高い面があり、高いゆるやかな斜面に遺物の散在が認められる。標高七十メートルの遺跡である。
採集できた遺物は多くなく、地主の小原茂雄氏の家族に聞くと子供達が石斧や石鏃などをよくひろったとのことである。畑作の耕作土が浅いためであろうか、採集した土器片は縄文のある数点で、時期は縄文中期の後半から縄文晩期にかけてと思われる。