遺跡がゴミ処理場のため道路から南傾斜面が切り崩されているが、切り崩されている北東部の地層と整理した地域で遺物が発見された。採集できた資料はすべて縄文後期であった。この土器は、無文帯に曲線による沈線文の土器と綾杉文に似た羽状縄文の土器であり、この種は口縁部に丸味ある口唇の作りと羽状縄文を施しているものがある。
山間の遺跡は、絵紙山を中心とした地域にあるが、調査によって発見した赤井川遺跡、オンコの木沢遺跡のほかに遺跡が埋蔵していることも考えられるが、植林、雑木林、原野であることから調査ができなかった。
記録にない椴法華村の歴史は、海岸から山地と他地域ではあまり類例がない遺跡分布と各時代にわたっている。弥生時代に相当する続縄文時代の前半までは遺跡によって求めることができたが、古代から中世と近世初期の時代はベールに包まれて謎である。
記録がない歴史世界の調査には田中寛教育長をはじめとして川口博氏、村史担当の小沼健太郎氏がご多忙のところ行動を共にされたことを感謝いたしたい。

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椴法華の土器 A 椴法華式尖底土器 原始美術の代表的な土器である。 市立函館博物館所蔵

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B 縄文後期 椴法華遺跡出土 椴法華村教育委員会所蔵

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C 縄文晩期 椴法華村教育委員会所蔵

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D-1 縄文晩期 椴法華遺跡出土 椴法華村教育委員会所蔵

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D-2、D-3 続縄文 恵山式土器、浜町砂丘遺跡出土 椴法華村教育委員会所蔵

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E 縄文晩期初め、椴法華遺跡 椴法華村教育委員会所蔵

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F 縄文晩期 椴法華遺跡 椴法華村教育委員会所蔵

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G 縄文晩期 椴法華遺跡 椴法華村教育委員会所蔵

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