大正六年

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・一月二十四日、椴法華漁業協同組合、組合員の生活向上のために、椴法華村信用購販売利用組合を設立する。
 設立の目的は出来るだけ漁民が仕込み制度から脱却し自立出来るようにすることであった。
・一月二十四日 全道暴風雪に見舞われる。
・二月 椴法華村青年團創立。
 大正四年九月、内務省・文部省は「青年団ノ指導発達ニ関スル件」及ビ「青年団体ニ関スルノ件」の訓令と通牒を発し、これを受けた道庁は、大正五年八月「青年団施設要項」や「青年団規程準則」などを示し、これまで青年団が未組織であった地域にその結成を呼びかけた。このような情勢の中で六年二月椴法華村でも青年団が結成されることになり、村民に呼びかけたところ、村内より百三十名の若者が集まり、種々協議の結果、青年部と壮年部に分け修養と公共事業の幇助等に活動することを目的として結成されることになった。
 また青年団結成当時は、青年の善道・生活の改善・勤倹貯蓄・矯風などをスローガンとして掲げ、以後この精神に基づき村の青年達を常にリードするようになった。
・五月二十一日 汽船第六大運丸濃霧のためアカハゲ暗礁に坐州する。
・八月十六日 アートスミス、桔梗野(現函館市桔梗町)園田牧場において飛行曲芸を実演する。
・十月十二日 椴法華尋常小学校両陛下の御真影を拝戴する。
・十月十五日 川口勇吉、椴法華尋常小学校敷地五千百七十坪を寄附する。
・十月二十日 横関正潔、椴法華村で医院を開業する。
・十二月一日 たばこ小売価格の引上が実施され、敷島十二銭・朝日十銭・バット六銭・あやめ四十六銭・なでしこ二十六銭となる。
・十二月 三井鉱業、事業経営上の理由(硫黄の値下がりが原因と云われている)により赤井川硫黄鉱山の経営を休止する。
・この年、椴法華村鱈大漁、生鱈だけで二十三万千七百貫を出荷し、五万七千九百二十五円を得る。その他秋の烏賊漁はまずまず好漁であり、この年の椴法華村は、途中急激な物価上昇があったにもかかわらず好景気の内に一年を終る。
・この年、諸物価が暴騰する中で労働者の賃金もまた一日、五六十銭であったものが、九月頃には一円五六十銭になるなどの現象がみられた。
・この年、本州入稼者減少し本道入稼者増加する。
・この年、主婦之友社、「主婦の友」を創刊する。