昭和四年

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・五月六日 普通選挙制度により第一回村会議員選挙実施
・五月二十日 椴法華小学校修学旅行実施、大沼・函館へ旅行出発
・六月十七日 駒ヶ岳大噴火し、この時椴法華村では二十一万八千円もの大損害を受ける。
 大正末期より打ち続く不況の中でやっとの思いで立ち直りつつあった村民の生活は、又もや大打撃を受けることになった。このような窮状は官側も認めるところとなり、損害額に比較するとわずかの額ではあったが、十月十一日畑租百六十円二十七銭を免ぜられた。またこの年十二月椴法華村では、漁獲高五千玉に及ぶ鰮の大漁があり、この年もまたなんとか乗り切るような有様であった。
 この年椴法華の村に直接的な実害を及ぼさなかったが、十月二十四日ニューヨーク・ウォール街株式市場の大暴落に端を発した世界恐慌は、この年の終り頃から日本に影響を及ぼしつつあり、昭和五年には日本経済をその渦中に巻込む暗雲が忍び寄りはじめていた。
 これまで暗い記事ばかり書いてきたが、この年の明るいニュースをあげてみると、八月十九日世界一周途上のドイツ飛行船ツェッペリン号が我が恵山上空を通過したことである、この時の様子を当時の函館新聞は次のように記している。
 
    昭和四年八月二十日 函館新聞
   おゝ偉大、空の怪物ツエ伯號
   萬里の征空恙なく
    今朝悠々巨體を現はす
     午前八時半噴火湾上を通過
            一路霞ヶ浦へ
   室蘭上空通過(室蘭電話)ツエ伯號は十九日午前八時半頃折柄の朝日を受け銀灰色に輝きながら噴火湾を掠め恵山方面に向った。室蘭の上空は約七百メートルの高度にて通過した。海岸には空の勇者を見ようとする人で非常に賑いを呈した。
 
 ツェッペリン伯号LZ-一二七は、エッケナーの指導のもとに世界一周のため昭和四年八月十五日出発し、八月十九日午後五時東京上空に達し、その後茨城県霞ヶ浦飛行場へ到着したが、この途中で恵山上空を通過したものである。