統制と配給

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 資源輸入国であった日本は戦争が長びくにつれ、次第に戦争遂行のための重要物資である鉄・銅・アルミニウム・石油等の欠乏が目立ちはじめ、これにつれて国民の生活もまたあらゆる面で耐乏生活を余儀無くされた。いわく「がんばりましょう勝つまでは、欲しがりません勝つまでは」と叫ばれ、あらゆる品物が統制を受け配給制となり、国民生活は忍耐の二字に押し込まれたような生活となった。
 
◇昭和十六年
・四月 生活必需物資統制令が公布され、成人一人一日米二合三勺(約〇・四一四リットル)の定量配給制となる。
・四月 家庭用石炭切符配給となる。
・十月 雑穀類配給制となる。
 この年道庁は烏賊釣船に重油不足のため木炭機動を取り付けるように指導する。
 
◇昭和十七年
・一月 食塩通帳配給制実施となる。
・二月 衣料切符制度実施
・二月 味噌・醬油の通帳制実施
・三月 酒類の配給、四月分一隣保班(十世帯)に清酒・焼酎とりまぜ五合券二十三枚の予定となる。
・三月 鮮魚介類統制
・十二月 一般家庭電気消費を統制
・十二月 主食配給に麦・いもが加えられ米は二分づき米となる。
 
◇昭和十八年
・一月 村内で金属回収運動盛んになる。
・五月 木炭・薪・たきぎ配給制となる。
・九月 漁業組合で針・テングスを配給(〓日記)
・九月 漁業組合で油配給、重油一隻に付き七缶(〓日記)
・九月 漁業組合で軽油・灯油を配給する(〓日記)
・九月 新主要食糧配給通帳発行される。
 この年鉄不足のため陶器製の鍋・釜登場する。

昭和18年8月 〓日記

◇昭和十九年
・三月 料理屋・カフェー等休業となる。
・八月 砂糖の家庭用配給停止(乳用児は配給有り)。
・八月 各地で竹槍訓練はじまる。
・十一月 たばこ一日一人六本配給制実施される

椴法華村における配給品一覧(十月から十二月までの〓日記を参考とする) 昭和十九年

 
◇昭和二十年
・五月 たばこ配給一人一日五本となる。
・七月 主食配給、米に換算して一日一人二合一勺(約〇・三七八リットル)となる。(実情は麦・いも・あわ・ひえ等も米のかわりに含められる)
・七月 たばこ配給一人一日三本となる。
・十二月 「函館市の主食配給遂に不能」となる。北海道新聞の見出しとして掲載される。
 戦時下において不足したのは物資ばかりではなかった。優秀な労働者は兵として多数戦線へ送られ、銃後に残されたのは工場・交通機関・農水産業・学校等を維持していくための最低限の人員であり、その他は学生・婦女子・老人等であった。このため日本の工業生産力は力を失いはじめ、戦争を遂行していくためには非常に苦しい状態となりつつあった。そこで政府は残された労働力のうち、学生及び女子に着目しこれらの者達に、昭和十八年に至り学徒戦時動員・女子学徒動員・女子挺身隊動員を決定した。(女子挺身隊員は二十五歳未満の未婚の女子をあてる)かくて年若き機械工やうら若き女性の電車運転手や鉄道員が出現し、男顔負けの活躍をするようになった。この他にも戦争の激化に伴い、飛行場・道路・防空壕・炭鉱等の建設や採掘に各市町村から勤労動員として駆り出される人々も出てきた。
 椴法華村ではこの頃八雲の飛行場建設に行った人達と、漁船員としての経験を生かし軍雇用船の乗組員として呼び出された人達があり、この他にも恵山岬に在った監視所に勤務することを命ぜられた人達もあった。

昭和20年4月 〓日記