昭和二十一年戦後日本の風景

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 昭和二十一年新円が発行されたが超インフレーションのため、人々は自分の衣類や財産を売るタケノコ生活を余儀なくさせられ、更に食糧確保のため都市住民は農漁村に買出しに出かけた。街角(まちかど)にはヤミ市が出現しラジオや新聞には、尋ね人の時間や欄が設けられ、関係のある人々は耳をそばだて、目を皿のようにして情報を集めようとしていた。
 次に参考として当時の世情を物語るいくつかの資料を記すことにする。
 
・昭和二十一年の物価(函館の履歴書・元木著より要約)
  昭和二十一年(函館の物価を示す)
  一月闇相場
     みかん十円に四ケ、米一升四十円から五十円、麦三十円、牛肉百匁十円
  七月公定と闇相場
     米一升公定三円、闇五十円、石炭一トン公定百五十円、闇四百五十円
  十一月闇相場
     米一升四十円、酒一升三百三十円
 
・昭和二十一年の詩と短歌
 戦後の混乱の中で飢餓・インフレ・引揚・失業・空巣など種々様々な出来事があったが、当時の歌人達はするどい感覚で次のように読んでいる。
     編輯子
            われ新聞記者なれば
    トップは 四段の飢餓地獄
     カットの試刷りまだ出ぬか、
      巷の声なら赤、青、黄
      食はせろ働かせろデモ行進
     お次は戦犯さんの狂ひ咲き
     南無ハラ合掌 それ原稿、
      おやおやトピック超原子
     どかんと弾けりや一切是空(すっからかん)、
    掃溜めのコソ泥、闇、ハッタリ
    この世の枷なら から廻り
      〆切ぎりぎり あと五分
     とうとう脳膸に火がついた
       青いつらら、片平庸人より
 
・昭和二十一年一月二十八日 北海道新聞
   阿部たつを
  ・盛り分けの粥をすすりてあなさやけ朝の勤めにいでたたんとす。
  ・大根の葉まぜて炊きたる朝粥のあつきをすすり事足るわれは。
  ・働きに行く身なればと朝粥の實のあるところをわれに食しむ。
  ・食ひものに飛びついてゆくむき出しの人の姿の闇市ここは。
 
 人々は、混乱し且つ激動する社会、そして食べる、着る、住むのすべてが無い中で、なんとか生き抜こうと懸命に闘かっていた。こうした時何も無い筈のこの時期、人々の心に安らぎの場を提供していたものがあった。それは映画である。
 昭和二十一年、洋画では「我が道を往く」・「キュリー夫人」・「カサブランカ」、邦画では黒沢明の「わが青春に悔いなし」、木下恵介の「大曽根家の朝」などが大好評を拍していた。椴法華の人達の中には、はるばるこれらの映画を見に行き三度も四度も見た人もあると云われている。