昭和二十二年・選挙の年

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 昭和二十二年四月はまさに選挙・選挙の月であった。役場も忙しかったが村民もまた仕事の手を止め候補者について研究したり、あるいは投票所へ出かけなければならなかった。
・四月五日 北海道知事及び村長選挙が同時に実施され、椴法華村長に松坂幹太郎が当選した。しかし、この時道知事は決定されなかった。道府県制第七十四条の規定により、当選者が有効投票総数の八分の三以上の得票を獲得できない場合は、多数を得た上位二名を以て決選投票を行うことに定められており、北海道長官(知事)は四月十六日に決選投票が実施され、この時、保守革新の一大決選投票となったが、道庁の係長から田中敏文が当選した。
・四月十日 第一回参議院議員選挙実施。
 この時全国区定員百名に対し、立候補者は二百四十六名で、大部分は何らかの全国的組織とつながりのある人達であった。しかし敗戦直後のため各家庭にはラジオすら無く、わずかに新聞により情報を得るのみの一般家庭が多く、人物や主張についてもあまり内容を知られず、女性や老人の中にはそんなことは面倒なことであると考える人々もあった。
 またその日その日をやっと暮らしているような人々の中には、選挙などに行っている暇など無いという考え方もあった。このような訳で北海道に於ける全国区の棄権率は、平均四割九分七厘にも達していた。また地方区においても定員八名に対して、十九名が立候補して激戦が展開されたが、その割に選挙に対する関心がうすく、これまた全道平均で四割九分四厘という有様であった。
・四月二十五日 衆議院議員選挙実施。
 第二十三回衆議院議員選挙が中選挙区制により実施された。この時の記入方法は、以前の三名連記制から単記制に改正され、定員二十二名に対し全道から七十六名が立候補し大激戦が行われたが、北海道第三区では富永格五郎・館俊三・川村善八郎の三名が当選した。
・四月三十日 村議会議員選挙。
 ついに村民の期待と関心を集めた村議会議員の選挙が実施される。この選挙では婦人も投票するため、日頃威張っていた立候補予定者は、投票日の三十日が近づくにつれて、女性に大へんやさしく話しかけたり、立ち止まって御挨拶するなど女性票獲得が当落の鍵を握っているといわれていることから、皆一生懸命であったと云われている。