明治十五年一月開拓使長官黒田清隆は東京の内閣顧問として北海道を去り、かわって参議兼農商務卿西郷従道が開拓長官を兼務することになった。
ここに至って明治五年から取り組まれた開拓十ヵ年計画が明治十五年一月を以て一区切りがつくこととなり、新たに政府財政の再建及び中央集権の強化を目的として、明治十五年二月八日「使ヲ廃シテ函館・札幌・根室」の三県を設置すべき布達が発せられた。
従来設置されていた開拓使は政府の各省と対等の権限を有していたが、新しく置かれた三県は本州の諸県と同じように、普通行政面を中心とした政務を行うようになり、それ以外の仕事は中央の各省の指示監督下に入ることになった。
このようにして新たに設置された三県は、その力が弱くまた互いに連絡が密でないため開拓事業を充分に遂行することが出来ないような有様であった。