椴法華村終戦の日

415 ~ 417 / 1354ページ
 昭和二十年八月十五日終戦、この二、三日前から沖を敵国軍艦が航行するのが遠望され、敵軍上陸の噂やソ連軍が来て占領するらしい、日本軍は秘密兵器を開発したので戦況は逆転する、中には神風が吹いて勝つなどとデマが乱れ飛び、また日本は絶対に勝つ旨の演説を何個所かで行う僧侶が現われたりし、村中が異様な空気に包まれていた。
 こうした村内の状況のところへ、ラジオは繰返し『八月十五日、正午に於て重大放送を行なう』旨放送し、村民の不安と緊張は極限の状態におかれていた。こうした中で十五日朝、椴法華村に駐屯していた軍より、『村民は正午前に椴法華国民学校に集合すること』を命ぜられた。
 村人たちはいよいよ本土上陸決戦が行われるので一億玉砕の決意を促がされるであろうと、ひそかに心してラジオの放送にじっと耳を傾むけた。しかし放送の内容は天皇の悲痛な声による、『自ら戦争の終ったこと、ポツダム宣言を受諾した』旨を国民に告げる終戦詔書の放送であった。罪もない国民が多数倒れていくのを見るに忍びず無条件降伏の通告を受入れたという内容であった。
 
     終戦の詔勅
   朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ玆ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
   朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
   抑ゝ帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦巳ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻リニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測クヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クニハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
   朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ノ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ哀情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ大平ヲ開カムト欲ス
   朕ハ玆ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排〓互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク挙国一家孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシテ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ
   御名御璽
    昭和二十年八月十四日
 
 この玉音放送を聞いた後の村民は、泣く人々、唯ぼんやり座り込んでしまう人、口々に何かさかんにまくしたてる人、複雑と云うか、なんとも云うに云われぬ胸中、極度の緊張の連続から解放された虚脱感、何もする元気の無い状態、しかし何かじっとしては居られない精神的虚脱の状態になっていたと云われている。
『〓日記』はこの日の村の状況を次のように記している。
 
   朝十時頃村民国民学校ニ集合セヨトノ命ニヨリ即時学校ニ集合スル。得部隊長ヨリ演説ヲ聞ク、天皇陛下涙ヲ呑ンデ我等争ヲヤメヲ語リ村民一同驚キタリ。
  (なお、成田吉之助元助役によれば、隊長は三戸大尉であり、中尉の軽部氏の誤りではないかといわれている)