天保十年(一八三九)の『松前秘説』によれば、椴法華の鱈漁について次のように記されている。
一、鱈は、冬至より蛸の餌にて初め凡廿四五日も釣よしまた鱈少き年は三十日餘も釣、共餌にても釣れるなり、根田内より臼尻までの場所を鱈場所と唱へ就中、椴法華ハ鱈の最上の由、此處の鱈をもて獻(献)上に供也。
この記事により天保十年頃幕府に献上する鱈は、特に椴法華産の中から選ばれたものであったことがわかる。このことは天保十年椴法華で最高品の鱈が漁獲されていたことを物語るものであろう。また当時本村においては、鱈は主として釣漁により漁獲され、船は三人乗モジップ船が使用されていたようである。