鱈漁業の不振

586 ~ 586 / 1354ページ
 前にも記したように、鱈はえなわ漁は全道に先がけて江戸時代から恵山沖漁場で栄えたが、明治、大正期と乱獲が続き、そのため資源が急速に減少し、昭和十五年頃には、鱈はえ縄漁、刺し網漁はともに他漁業に転向する傾向がみられるようになった。
 その後昭和二十一年から昭和二十六年にかけても鱈漁業は不振となったがその原因を考えてみると、漁具も少なく、漁法も簡単な烏賊が大漁でよき収入になったこと、鱈資源が戦前と同じように減少していたこと、戦後の物不足の中で出漁船が少なくなったことなどが上げられる。

鱈漁獲高 (単位 貫)