昭和五十年代のスケトウ鱈漁業

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・スケトウ鱈漁をとりまく環境
 昭和四十八年に発生したオイルショック以来、石油並びに原材料の急上昇による出漁船の漁獲コストの上昇が起きたにもかかわらず、国内経済の引き締め政策に基づく、消費経済の低迷、魚価の低価格化の現象がみられ漁民の生活を圧迫していた。
 更にこの状態に追い打ちをかけるように、スケトウ鱈漁場における韓国トロール船団の出現があり、ただでさえ減少しつつある資源を急速に失う恐れさえも懸念され益々漁民生活を不安なものに陥れるような状態であった。
 このような情勢下、道、道漁連、漁協等の協力により、刺網漁業と沖合底びき網漁業との協定、あるいは、網の目合、掛目、使用反数などの制限、外交ルートによる韓国船の出漁問題についての話し合いなどの対策が講じられていった。
 当時の状況を「道南太平洋海域のスケトウダラ漁況解説」昭和五十七年、函館水試は、次のように記している。
 
   道南太平洋海域におけるスケトウダラ漁業の操業上の特徴は、他の海域と異なり漁獲量の大部分は刺網漁業によるものであって、沖合底びき網漁業による漁獲量はこれまで全体の五パーセントから十パーセント程度であり、昭和五十五年度漁期には二十一パーセントを占めてこれまでの最高の漁獲量となったものの、昭和五十六年度漁期には全体の九パーセントにとどまっています。この海域では沿岸の刺網漁業と沖合底ひき網漁業との間で漁場協定や操業協定が交わされていますが、沖合底ひき網による漁獲量に占める割合の低いのは、スケトウダラの好漁場となる中心漁場を沿岸の刺網漁業が優先的に利用していることの現われとみられます。
   また、両漁業のスケトウダラ資源の利用の仕方をみると、渡島、胆振沿岸の刺網船は使用する網の目合や、掛目、使用反数などの制限をし、一方、渡島、胆振海域で操業する沖合底ひき網船は三十糎未満の魚体のスケトウダラを漁獲しないなどの制限をし資源の保護に努めています。

すけとうだら