『北海道漁業志稿』によれば、明治二十二年頃の鯣の製造方法について次のように記している。
『鯣』の製造法は地方に依りて多少の異同ありと雖ども、其大略を擧ぐれば左の如し。
烏賊を収獲すれば直に小刀を以て腹部を截り割き赤腑黒腑を去り、又膓を脱して後樽に入れ河水を灌ぎ能く攪拌し新鮮なる水を以て交換洗滌する。凡五・六度の後一枚毎に兩手にて伸し日光の射線を受け、大気の流通よき場所を撰んで長一丈の杭を二間づゝ隔て、幾本にても鯣の多寡に從ひ並建て、杭の高さ地上より七尺の所に桁木を渡し、下(一尺づゝ隔て楷子目に藁繩五通りを横張りにし、尚二間の間桁木へは藁繩三通り結張り、横張繩の矯まぬ様にして一枚毎に掛干し、水分乾き去れば直に屋内に運び二枚の烏賊足と足とを連結せしめて一連とす。此際より雨露の害を蒙らざる様注意し、雨天又は夜中は莚を掩ひ湿氣の侵透を防ぐ事緊要なり。斯くして後更に乾場を設けて再び乾燥す。此乾場は高さ六尺の杭を建て、之に桁木を結び早切(さきり)(木竿を云ふ)を渡し築造する者にして、大抵一本の早切に五十連を懸くる様に為すを例とする。此乾場に於て晴天凡そ三日間乾燥して後之を下し、直に倉庫に運び乾燥したる場處を撰みて重積し、其周圍は莚を掩ひ凡三日間貯蓄し四日目に至り一枚毎に延し、又晴天の日於て最初の乾場に掛け一・二日間乾燥す。斯くして乾燥充分なれば二十枚を重ね藁にて前後及中央を結び一把とす。
以上は従来の製法なれども、現今は鮮魚の腹を剖き膓及眼を去り、軟骨を傷けざる様其儘海水にて能く洗ひ、内面を外に向け胴と足との間を繩に掛け、左右の長足を折返し日乾すること半日餘にして外面を外に向け掛替て日没迄乾燥す。其乾場狭隘なる者は凡そ二時間を経て水乾きせし時二枚づつ互に其足を結び合せ、木竿に掛けて乾燥し了って手を以て皺を伸し、脚を揃へて之を重ね上に板を乗せ石等にて壓し、莚にて覆ひ凡そ一晝夜許り其儘に置き、内面に石灰様の白粉を生ずるを度とし更に莚上に排列し、又は二枚づつ互に足を結び竿に掛け充分乾燥するものなり。
或る地方に於ては皺伸を為す時奄蒸法を施さず、乾燥を了へたる後に奄蒸するあり。
なお前掲『北海道水産全書全』によれば、函館における鯣製造の手間賃及び荷造法を次のように記しているが、椴法華村でもほぼこのような状況であったと思われる。
函館地方ニ於テ鯣ヲ製造スル費用ハ概ネ左ノ如シ
百枚ノ割キ手間料 金壹銭貳厘
繩ニ掛ル手間料(百枚)金五厘
足結ヒ手間料(百枚) 金三厘
皺伸シ料 (百枚) 金五厘
結束料 (百枚) 金拾貳銭
繩代 (一把三十八尋)金壹銭五厘
木竿代(一本二間二尺)金参銭五厘
(カッコ書きの部分は筆者が註記す)
・荷造法
鯣ハ製造スルニ當リ二十枚ヲ束ネテ一把トシ百把ヲ一箇ト称シ又百石ハ四干貫目ヲ以テス。
荷造ヲ為スニハ百把毎ニ莚一枚ニ包ミ其形ハ立方角ニ包ミ縱横十文字ニ三通リ大間繩ヲ以テ結束ス又一個ノ量目ヲ一百斤トシテ荷造スルモノナリ。