烏賊釣船

625 ~ 626 / 1354ページ
 明治の末年頃より道南地方の鰊漁は不漁が続き次第に烏賊漁業に主力が注がれるようになり、ちょうどこの頃から漁具・漁船の改良も行われたため、烏賊漁に従事する者がふえこれにともなって烏賊の漁獲高も増加した。
 この頃、椴法華の人々は磯船・モヂップ等に乗りカーバイトを灯火として出漁し、越前から渡来した川崎船は一家六人位が乗組み米・味噌を携えて来村し烏賊漁・鱈漁に従事していた。磯船・モヂップ・川崎等の船は、投錨し船の漂流を防ぎその漁場位置を変更することなく釣獲に従事した。
 「はねぐ」は磯船やモヂップ船から川崎船が使用されるようになると、船の構造上の理由により、やや柄の長い物が使用されるようになり、釣り道具も幾分変化したものが作られるようになった。
 また経営上では、鰮などの他の漁業は、大部分が仕込みを受けていたのに対して、烏賊釣漁業は道具立てが少ない等の理由もあり、ほとんど仕込みを受けないのが普通であった。