するめ烏賊の増産

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・昭和二十二年頃より
 ① 烏賊の海遊状況が或程度予想できるようになった。
 ② 漁船の大型化(老朽船が多かった)により「流し釣」が可能になった。
 ③ 釣具がハネグやトンボから(二十六年頃)連結式に進歩した。
 ④ にしん、鰯、その他漁業の不振から、漁民が烏賊漁に集中するようになった。
 ⑤ 道具立ても少なく、技術的にも簡単であった。
 ⑥ 引揚者・失業者のよき職場であったこと。
 ⑦ 食糧不足により、有利な統制価格などがあった。
 などにより烏賊漁業は急速に発達していった。しかしこれと比例するように漁民の生活が向上したわけではない。漁獲高が増加しても魚価が他の魚類に比べて著しく低いので、その割に生活は向上しなかったのである。またスルメの加工は、天候に強く左右されるため、天候が悪いと全く二束三文になってしまい、交通事情が悪く生で出荷出来ない椴法華村及び近村ではこの傾向が特に強かった。この他にも漁民の中には、着業資金が欠乏しているため、資金を加工業者から「仕込みの形で得る」者もあり、スルメの価格が上昇しても、実際に手にする現金は非常に少ないなどという場合もあった。

昭和22年8月 烏賊ほし風景


戦前と現在の魚価の比較(函館市のスルメイカ漁業の経済的地位とその生産基盤、大淵玄一)より


市町村別漁獲実績椴法華村(主な漁獲物・魚類) (単位 千貫)