昭和二十七年烏賊釣漁業の制限

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 この頃道南地域の烏賊漁船は、経営規模が小さく大型化の資金難のため小型船が多く、また本州の日本海側より来航する烏賊漁船も小型であった。これに対して本州太平洋岸、(主として八戸港)より来る船は大型船で設備も充実したものが多く、これと競争した場合、とても小型烏賊漁船ではかなうべくもなく、北海道では小型烏賊釣漁船を保護するため、次のような制限を加えるようになったものである。
  一、制限区域、日高国エリモ岬より以西、後志国モツタ岬より以南距岸十六キロ以内
  二、使用漁船は二十トン以下
  三、集魚灯の光力は二キロワット以内
  四、漁期は七月一日から翌年一月三十一日迄
  五、根拠地の自由変更は認めない
   (ただし三十年秋は、前年秋漁不漁の漁民を救済するため六月十五日より認める。また三十一年も六月十五日から認め、根拠地は主と從の二港を認め、漁獲物は根拠地にある漁業協同組合に出荷するように定められていた)
 村民の語る所によれば、道南沿岸の烏賊釣船はこの規則をよく守ったが、本州の大型船は五キロワット以上の集魚灯を使用し、少しばかりの時化(しけ)でもゆうゆうと操業し、その上動力による釣漁法などがはじめられており、制限区域に入るなどの規則を犯かしても、取締は困難だったといわれている。
 なお昭和三十年頃には、青森県には三十トンから五十トン級の烏賊釣漁船が多数存在しており、制限海域外の道南の沖合で自由に漁業していたといわれている。
 この頃より烏賊釣漁船の大型化が痛感されるようになるが、建造資金の調達が容易でなく、椴法華村では実用化できなかった。

椴法華村漁船数


椴法華村烏賊漁獲高


椴法華村するめ生産高