昭和十年以後の漁業組合

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 昭和八年政府は漁業組合の経済事業の強化を目標として漁業法の改正を行い、各漁業組合に対して五年間の期限で漁業組合の組織変更を行うことを命じていた。
 我が椴法華漁業組合も昭和八年の改正命令に基づき組織改善を行い、昭和十年十一月十三日組織改正の認可を受け、同年十二月十七日に登記されている。この時の組合員数三百二十五人、一口出資金は三十円である。
 その後政府の指導により漁業組合の全国組織化が図かられることになり、まず昭和十二年各漁業組合を会員とした「北海道漁業協同組合連合会」が結成され、更に昭和十三年には全国漁業組合会が設立されて全国組織ができあがることになった。
 一方漁業法も国策に対応すべく昭和十年に改正が行われたが、その目的とするところは漁業者の増産奨励・配給組織の整備・貯金の奨励食糧確保等戦時体制に備えようとするものであった。
 このような中で椴法華漁業組合は活動を開始し、昭和十四年には次のような漁家経営の改善策を打ち出している。
 
   (昭和十四年三月十七日函館新聞)
  時局に立脚して!! 漁家経営を改善
           椴法華漁組の方針
  長期戦に対応して椴法華漁業組合では、各種漁場の荒廃を防止し漁利を永遠に維持するため本年から漁業組合を中心に漁具漁法漁期に関する制限禁止、禁止区及輪採区の設定、有害水温の駆除、水質汚濁の防止をすることになった外、水産指導の方針として水産報国精神の作興、智識の普及、漁業経営の改善、漁船漁具の改善、処理加工の改良、販売拡張及販売購買方法の改善、金融の改善、資金の融通、生活改善、並に漁局経営の大綱(たいこう)を定め戦時下漁村の振興に邁進することとなった。
 
 その後昭和十八年には「水産業団体法」が公布され、漁業組合は国策に協力する機関となっていった。しかし二年後明治以来延々と発達してきた椴法華漁業組合は、昭和二十年の終戦と同時に法の規制及び国や道の指導を受けなくなり自然消滅のみちをたどるに至った。