明治時代の探鉱

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 矢尻川上流に在った硫黄鉱山に関する資料は現在ほとんどなく、詳細について知ることができないが、わずかに『鑛物調査報告第二号』(地質調査所編)に記述されているものがあるので参考として次に記すことにする。
 
    矢尻川上流ノ硫黄鑛床
   一 位置及地質
   矢尻川ノ上流地方ハ即チ丸山ノ南東側、古武井岳ノ東側南東側ニ該當スル地域ニシテ矢尻川ノ本流ハ北ヨリ南ニ流レ、其支流ナル土橋川『ハナコクリ』澤瀧ノ澤(津田ノ澤)等ハ南東ニ向テ流走セリ。
   此地方ヲ構成スル岩石ハ灰色若シクハ暗灰色ノ複輝石安山岩ニシテ、中粒質ノ組織ヲナシ、多量ノ斜長石及輝石ノ斑晶ヲ散點スルモノナリ、此岩石ハ温泉ノ作用ヲ受ケテ屢灰白色多孔質ノ硅質岩ニ變シ、其塊片ハ土橋川、『ハナコクリ』澤及瀧ノ澤ノ上流地方及Bノ澤東方ノ山路上ニ轉在スルヲ見ルヘク、又會テ盛ナル硫質噴気孔ノ作用ヲ受ケタル證跡ハ諸處ニ之ヲ存セリ。
       鑛床
   矢尻川ノ上流若シクハ其支流ナル『ハナコクリ』澤、瀧ノ澤・Aノ澤・Bノ澤・學林ノ澤等ニアル硫黄鑛床ハ即チ往時硫質噴氣孔カ前記ノ安山岩ニ作用シ、共成分鑛物ノ一部分ヲ溶解シ去ルト同時ニ岩中ニ硫黄ヲ浸染セシメテ生シタル鑛染鑛床ニシテ、押野鑛山石橋澤及古部鑛山等ノ鑛床ト同性質ノモノニ属ス、而シテ往時探鑛セシ廃坑ハ甚タ多ク存スレトモ何レモ好結果ヲ得サリシモノニシテ目下ハ更ニ顧ミルモノ無キモノトス、
   土橋川ノ上流ニ於テハ安山岩ニ少シク硫黄ヲ浸染セルモノ諸處ニアリテ、中田元吉明治三十三年乃至三十八年ノ頃六七個所ニ開坑シテ探鑛シタルコトアリシモ良鑛石ヲ得ルニ至ラスシテ止ミ、當時ノ廃坑ハ今全ク埋沒シテ殆ント其跡ヲ滅スルニ至レリ、鑛床附近ノ母岩ハ分解シテ帯青暗灰色ノ粘土状トナリ、或ハ細微ナル黄鐵鑛ヲ多量ニ含ミ、或ハ灰白色ノ硅質岩ニ變セル所少ナカラス、而シテ此探鑛地ノ近傍ニ製錬所ノ跡アレトモ此製錬所ハ押野鑛山ヨリ購入セシ鑛石を處理セシモノニシテ、此探鑛地ヨリハ製鍊ニ附シ得ヘキ鑛石ハ産出セサリシモノトス、
  『ハナコクリ沢』
   瀧ノ澤、Bノ澤、Aノ澤地方ハモト津田昌氏ノ明治三十七八年頃盛ニ探鑛ヲ試ミタル所ニシテ、明治三十九年十月ヨリ山本已之助ノ有ニ歸シタル所トス、
   『ハナコクリ』澤ニハ津田氏ノ開坑セシ探鑛坑の跡三個所ニ存スレトモ、坑ノ内外ニ鑛床ノ存在ヲ見ス、蓋シ是等ノ諸坑ハ安山岩カ分解シテ暗灰色ノ粘土状ニナレル所若シクハ其他ノ所ニ於テ一定ノ方針ナク猥リニ開掘セシモノ、如シ、一番坑二番坑ハ概ネ埋沒シ其坑道ハ北ニ向ヒタルカ如ク、又三番坑ハ南六十度西ニ向ヒ四米許掘進シテ止ミシモノナリ、瀧ノ澤ノ上流ニハ七個ノ癈坑アリ、是等ハ皆津田氏ノ開坑セシモノニシテ其後山本氏ハ明治三十九年ヨリ四十二年五月マテ一番坑・二番坑ニ於テ進掘探鑛シタルコトアリシモ何レモ製錬ニ供シ得ヘキ良鑛ヲ出サゝリスモノトス、一番坑・二番坑ハ初メ少シク北方ニ向ヒ後西北西ニ掘進シ不良ナル鑛床ニ會シタルモノニシテ、鑛床ノ上盤ヲナセル安山岩ハ變質シテ灰白色多孔質ノ硅質岩トナリ、下盤ハ分解シテ帯青暗灰色ノ粘土狀ニナレリ、又三番坑ハ南五十五度西ニ向ヒ、四番坑ハ北方ニ向ヒテ掘進シタルモノゝ如クナレトモ共ニ概ネ埋沒シテ其狀況不明ニ属シ、後者ノ坑口附近ニハ硅質岩ノ露出アリ、又五番坑ハ北方ニ、六番坑は西方ニ、七番坑ハ北西ニ向ヒ進掘シタルモノニシテ坑口ヨリ數米ノ間ハ観察スルヲ得レトモ鑛床ノ露出ナク附近ノ安山岩ハ分解シテ屢粘土狀トナレリ。
   Bノ澤ニハ四個所ニ廢坑アリテ何レモ略北西ニ向ヒ掘進セシモノナリ。一番坑ハ山本氏ノ開坑ニ係リ約二十四米許掘進シ、鑛床ニ會セスシテ止ミ、二・三・四番坑ハ灰色乃至暗灰色ノ粗惡ナル鑛石ヲ多少産出セシモノニシテ、四番坑ハ全ク埋沒シテ僅ニ坑口ノ跡存スルノミナレトモ、二・三番坑ハ坑口ヨリ十數米ノ間窺フヲ得ヘシ。
   Aノ澤地方ハ全ク灰色ノ複輝石安山岩ヨリ成リ、此岩石ハ屢分解シテ粘土狀ニナリ又ハ細微ナル黄鐵鑛ヲ含有スルモノアレトモ鑛床ノ露頭ナク、此處ニアル廢坑ハ南十五度西ニ向ヒ安山岩中ヲ約二米許掘進シテ止ミシモノトス。
   學林ノ澤ハ赤井川鑛山ノ鑛区ニ属シ、其上流ニハ明治四十三年七月頃ノ發見ニ係ル鑛床ノ露頭二個所ニアリ。第一露頭ハ二股ノ右股ヲ上ルコト五十米ノ所澤ノ北側ニアリテ厚サ一米許ノ岩脈状ヲナシ、其走向ハ略北三十五度東ニシテ西方ニ八十度ノ傾斜ヲナシ、鑛石ハ組織緻密ニシテ帯黄灰白色ヲ呈シ、鑛床ニ接スル母岩ハ分解シテ帶青暗灰色ノ粘土狀ニ變シ或ハ少シク硫黄ヲ含ミ、鑛床ト母岩トノ境界ハ稍明瞭ヲ缺キ、概スルニ押野鑛山石橋澤ノ鑛床ニ酷似セリ。
   赤井川鑛山ニテハ會テ此露頭ノ鑛石ヲ採取シ製鍊ヲ試ミタルニ歩留リ一割二歩ニシテ稼行ニ堪ヘサルモノナリシト云フ。第二露頭ハ二股ノ下六十米許ノ所澤ノ西岸ニアリテ鑛石ハ暗灰色ヲ呈シ硫黄ノ含量甚タ少ナキモノナリ。
     結論
   斯クノ如ク矢尻川上流地方ノ硫黄鑛床ハ安山岩中ニ硫黄カ浸染シテ生セル鑛染鑛床ニシテ其露頭及廢坑内ニ就テ檢スルニ其品質ノ良好ナルモノハ更ニ之ヲ見ス。想フニ此地ニ於テ往時硫質噴氣孔ノ作用ヲ受ケタル區域ハ廣キニ亘レトモ、其作用力特ニ一局所ニ集中シテ優良ナル硫黄鑛床ヲ作リタルノ處ハ之レ無キモノヽ如ク。中ニ就キ學林ノ澤ノ第一露頭ハ比較的良好ナレトモ其鑛量ハ少ナルヘシ、然レハ現在ノ状況ヲ以テ推論スルニ本地方ノ硫黄鑛床ハ将來多大ノ望ミヲ以テ探鑛スルノ値ナキモノトス。