公益質屋の開設

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 大正時代末期からの大不景気におびやかされた庶民の中には、質屋を利用する者が多かったが、利率が高く庶民の生活を圧迫する一因ともなっていた。このため政府や道庁は、市町村の直営による低利の公益質屋の設置を奨励していた。
 昭和二年三月『公益質屋法』が制定され、昭和三年には全道で六ヵ所・同四年十七ヵ所と以後年々全道各市町村に設置されるようになったが、我が椴法華村では昭和三年に開設されている。
 公益質屋の内容について、『新北海道史・第五巻』は次のように記している。
 
  公益質屋は市町村を経営主体とし、特別会計をもって経営したが、その経営実態は普通質屋とは異なり、低利であったから庶民金融としての実をあげることができた。その運営をみると普通消費貸付けは一口一〇円限度とし、生活資金は一世帯五〇円以内とし、貸付利率は一ヵ月について一〇〇分の一・二五で、また質流れ期間は四ヵ月質物交換および一部受戻しに重利を課さなかった。貸付けは質物評価額の一〇分の八質流れ期間を過ぎても一ヵ月以内に利息を払えば契約の更新ができるなどの利用者にとっては有利な条件があったので、住民の福利に役だった。
 次に我が椴法華村の公益質屋開設に関する当時の新聞記事があるので記すことにする。
 
   昭和三年六月二十五日 函館新聞
   亀田郡椴法華村にては本年より公益質屋を経營するのに決定したるは、既報の如くなるが今回詳細決定せるより支廳を經て道廳に報告せるが右に依れば村にて低利資金六千圓を十五ヶ年々賦にて借入れ内一千圓を建築費に充て五千圓を運轉資とするものにて貸付は月平均一分三回更新として回収資金九割の見込貸付制限は一口十圓一世帯五十圓貸付利率一分五厘以内流質期間四ヶ月なりと

昭和十一年統計

一上川口米穀店
一〓十越崎商店
福永雑貨店
〓澤黒澤雑貨店
〓ニ六谷雑貨店
〓サ松本呉服店
亀久三田雑貨店
〓林齋藤雑貨店
〓ヤ蓮法商店
〓タ野原商店
〆一伊藤雑貨店
〓サ大阪商店
〓小小寺商店
〓正夏原商店
○中中山雑貨店
○今今岡呉服店
○〆舛森雑貨店
○ノ渡部菓子店
○ト村井雑貨店
○/小市雑貨店
又ニ川島呉服店
昭和八年一月、椴法華村の商店(商工会加盟店)


昭和十八年度公益質屋費仕訳書 (単位 円)


昭和十四年度公益質屋費仕譯書 (単位 円)