第一次港湾整備五ヵ年計画

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 この工事は昭和三十六年から昭和三十九年にかけて避難港整備の要請により、国が施行主体となって実施されたもので、港内船舶の安全確保のため東防波堤の延長拡幅と四メートルの浚渫が行われた。

第一次港湾整備五ケ年計画港湾施設建設経過

 椴法華避難港完成の様子を当時の新聞は次のように報じている。
 
   昭和三十九年七月十四日
   待望の椴法華避難港完成
    十二年、四億円かけ、
       二十日完工式 将来は岸壁築設へ
   道南の海の宝庫"恵山魚田"に出漁する漁船や、津軽海峡付近航行船舶の希望もあり、二十七年度から函館開発建設部の直轄工事で進められていた「運輸省指定椴法華避難港」の築設工事は、このほど完工、二十日午前十時半から現地で喜びの完工式が行なわれる。
   イカの盛漁期ともなれば、椴法華村沖合い一帯の恵山魚田には大小のイカ釣り漁船が出漁するが、同村の元村沿岸一帯は昔から特有の北東の風が強い。このため出漁漁船や付近航行の船舶がよく避難するので、昭和七、八年ごろから元村地区に避難港の設置が要望されていた。とくに戦後この要望が高まり、関係町村が結束して中央に陳情運動をした結果、二十七年度から運輸省指定の避難港として築設工事が行われたもの。工事は函館開建の直轄工事で、元村地区の函館海上保安部椴法華分室前浜から東方海上に突き出る「東防波堤」延長百九十メートル(幅十七メートル)と「船揚場」百メートルを築設、海面二万七千四百平方メートルを深さ四メートルしゅんせつしたものだが、完工まで十二年間に注ぎこまれた工事費はざっと四億円に上っている。このためイカ釣り漁船や五百トン級の船舶が安全に避難することができるようになったが、将来さらに北防波堤百メートルと五百トン級の船が接岸できる岸壁百五十メートルを築設し、運輸省指定の地方港湾に昇格する計画という。
 
 この日、椴法華村では椴法華避難港修築工事竣工式が十時三十分より開催され、その後十一時十分より船主組合主催による船祭り(椴法華港より前浜に出航)十一時二十分から鼓笛隊及び旗行列が花火を合図に椴法華港を出発、村内を行進、十一時五十分より祝賀式及び祝賀会が椴法華小学校で開催されるなど、村内は一日中、港の完成でにぎわいをみせた。