この改正によって、『小学校』は『尋常小学校』と呼ばれるようになり、この他に高等科を設置している学校では尋常高等小学校と呼ばれるようになった。この時椴法華村では修了課程が三年の尋常科だけが設置されていた。
なお、明治二十三年の『小学校令』の改正では、尋常科の修業年限は三年又は四年であったが、村々の学校では尋常科と高等科の修業年限はそれぞればらばらであった。
明治三十三年八月『小学校令』が再度改正され、この時に全国的に義務教育期間は四年と定められた。
椴法華村では村民の教育に対する熱意が厚く、これより先明治二十九年五月二十五日から尋常科の修了年限は四年とされていた。
明治四十年三月『小学校令』に対する三度目の改正が行われ、ついに義務教育はそれまでの四年から六年に延長されることになった。また高等科はこの改正により、二年又は三年の修了年限とされた。この『小学校令』は明治四十一年四月一日より実施されることになったが、椴法華尋常小学校もこれに従い義務教育六ヵ年とされた。当時学習されていた教科は、尋常科では修身・国語・算術・日本歴史・地理・理科・図画・唱歌・体操の九科目で、その他としては女子の裁縫や男子の手工等も教えることを許されていた。
昭和5年 椴法華尋常高等小学校