戦後の恵山温泉

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 昭和初期前経営者の辻田トメより中村小吉が譲り受け経営されたもので、経営者が変わっても辻田温泉と称されたり、中村温泉と称されたり恵山温泉と言われたり混用されていたと言われている。

昭和23年の恵山(中村)温泉

 昭和二十四年の中村温泉の様子を昭和二十五年の椴法華村勢要覧は次のように記している。
 
     恵山温泉
   恵山山嶺半ばに火山原があり其の盡くる所に温泉が湧出してゐる之が恵山温泉である。
   天保年間の爆發により始めて湧出を見たということであるが己に其の爆發以前にあったものと思われる。文献によると安政年間療養地として浴客が多数あったと書いてあるが該泉は少しく位置が偏在してゐるので一般にはあまり知られてゐなかった爲め以前は浴客も僅少であったが、現今益々其の数を増加して来てゐる。
   (温泉場)
  温泉旅館一軒、浴槽二個、客間八室
   (温泉質)
  温泉質は鉱泉分類上硫酸亜留加里泉に属し華氏七十五度にして泉量頗る豊富である。

[表]

   (効能)
  皮膚病一般、慢性リウマイス、梅毒及胎毒、性病一切、カメール性及淺生漬瘍性疾患
  (文中に天保年間恵山爆発と記されているが確証がないため言い伝えとしてとらえて欲しい。)