昭和三十七年前後の保健実態

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 戦後医学の進歩により、しばらくの間、死亡数は大きく減少を示したが、昭和三十七年前後に至りだいたい落ち着き、横ばい気味になり、このころの傾向としては、出生率と死亡率の低下が見られることから、将来は人口構成の老齢化現象が進むものと予想されるようになった。次に当時の死亡率と主な死因について記すことにする。
 昭和三十五年から三十九年に至る間の五ヶ年の平均死亡率では、全国が七・三、道南が六・八、椴法華村が五・六と椴法華村の死亡率は、全国・道南のいずれの平均よりも低くなっている。
 主要死因について調べてみると、全国道南ともに脳卒中・癌・心臓疾患といわゆる成人病が上位を占めている。しかし椴法華村に於ける昭和三十五年から三十九年まで五ヵ年間の平均主要死因は、第一位・老衰、第二位・癌、第三位・脳卒中、第四位・心臓疾患、以下事故・肺炎及び気管支炎の順であり、全国・道南の主要死因と順位を異にしている。
 
椴法華村において死亡原因は病気でない老衰を除くと、癌と脳卒中が多いのであるが、昭和三十八・九年ごろからこれらの病を予防するため、食生活と日常生活の改善・早期検診・早期治療等の徹底を期すことが大切であると村内で叫ばれるようになった。
※伝染病は終戦直後の一時期を除き、本村では長く伝染病の発生がなく、次の表のように結核以外の伝染病は、昭和三十五年から昭和三十九年に至るまで、わずかに三十五年の赤痢一件のみであった。
※次に結核の状況について記すことにする。結核予防のきめ手は、早期発見・早期治療にあるといわれるのであるが、当時の結核検診の受診状況をみると児童生徒の検診率は高く有病率は極く少ない。これに対して一般住民層では検診率は非常に低く、逆に発病率は高くなっていた。
 
 昭和三十九年における一般住民層の受診率は、全国二十八・五%、道南十三%、椴法華で一〇%で、患者発見率は、全国の〇・三%、道南〇・七%、椴法華村一・一%となっており、椴法華村では特に一般住民層の受診率が低く、住民の結核その他に関する保健知識の向上が望まれるようになった。
 戦後結核はいちじるしい減少を示し、当時の日本全体の死亡順位では第七位となっており、かつてのような恐れの念を抱かせるような病気ではなくなりつつあった。しかしその発病者は老年層に多く、決して侮ってはならない油断のならない伝染病であり、このため本村では結核対策の充実に努力しなければならないものと考えられていた。

人口十万昭和三十九年椴法華村(右の表は昭和三十九年椴法華村の人口十万人あたりの死亡発生率を示す)


昭和三十五年~三十九年主要死亡原因


椴法華村の伝染病発生状況


昭和三十九年結核受診発見率