道庁の設置と警察制度

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 明治十五年から実施になった札幌・函館・根室の三県に区画された制度は、県相互間の連絡が充分でなく事務処理上にも種々の問題点を含んでいたため、政府は北海道の行政改革を目的として明治十九年一月三県を廃し、北海道庁を設置することを決定した。
 こうして同年二月札幌に本庁、函館・根室に支庁が開設され、この時から本庁及び支庁に附属して警察本署が設置されることになったのである。
 すなわち初代北海道庁長官岩村通俊は、明治二十年五月の郡区長会議における「施政方針演説書」の中で、北海道では各地に郡役所・警察署を設置してそれぞれ独立に事務をとっているが、これは非常に非能率的であると述べ、今後は警察官も行政事務を補助する覚悟が必要であるとした。このようにして郡区長は警察署長を兼ね、郡区役所と警察署を同じ建物に併置し、郡区書記と警部補は相互に兼任し、戸長役場は警察分署を、戸長は分署長を兼ね、巡査もまた山林事務、戸籍事務を分担することを方針として打ち出している。
 なお岩村長官がこのような方針をとった理由は、『新北海道史第四巻通説三』によれば、官員の定員を節減し、経費を縮少するという官側の強い要請があったためであると記されている。