椴法華消防団の新発足

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 昭和二十二年四月三十日「消防団令」の公布により、それまで警察の指揮監督下で消火警防活動に従事してきた全国の警防団は廃止されることになり、我が椴法華村でも昭和二十二年八月椴法華警防団が廃止され、新たに消防活動に従事するものとして昭和二十二年九月十三日「椴法華消防団」が結成された。
(椴法華小学校校内において結成式を挙行)
 椴法華消防団はその後昭和二十三年二月二十四日に出された政令五十九号「政令消防団令」に基づき、旧法時代の警察の監督下をはなれ地方自治体(市町村)直属の防災機関として設置されることになった。なお、このときより消防団員の定員・消火のための施設・設備、給与、服務規定等、全て市町村議会の条例で定められるようになり、市町村の自主的運営にまかせられるようになった。
 戦前は内務省及び道府県警察部の担当下に置かれていた消防行政が、戦後になって、なぜ市町村の地方自治体に移管されたのであろうか。その理由は占領軍による非軍事化・民主化政策の一環として実施されたものであったといわれている。(なお昭和二十三年七月二十四日内容的に整備充実した消防法が公布され八月一日より施行されたが、これとともに以前の消防団令は廃止された。)
 このようなわけで地方自治体が消防の管理運営を担当するようになったが、戦後の経済混乱期にあって戦災の復旧・産業の復興・新制中学校の建設等非常に費用のかかる案件が多く、とても消防関係にまで予算を配分する余裕はなく、椴法華村では旧警防団時代の消防設備をなんとかやりくりして運用していたのが実状であったといわれている。
 終戦後の物資欠乏の折から、かっては下海岸線の花形であったフォード製のガソリンポンプも老朽化し、加えてガソリンの不足・ツギハギだらけの消火ホース、そして腕用ポンプ三台というような悪条件下に置かれながら、団員の一致協力による防火活動や村民の火防意識の高まりにより、心配された火災を発生させることなく日夜火防活動が続けられるような状況であった。またこの他に遭難船の救助活動や土砂くずれの災害復旧、村道の修理・除雪による交通路の確保等の仕事を、役場職員・青年団などと協力し合って実施していた。
 
    創立時の椴法華消防団
  団長  高橋与市
  副団長  福永一郎・多喜国次
  団員  七十名
  ガソリンポンプ     一台
  腕用ポンプ       三台
 
 戦後の数年はこのような状況下に置かれていたが、消防設備の充実は一日も早くとの村民の強く要望するところであり、村経済の好転とともに消防施設・設備は整備充実されていくようになった。
 次に充実の経過を簡単に記してみることにする。
 
  昭和二十五年十二月    消火栓十七基設置
  昭和三十三年十月     小型動力ポンプ二台購入
  昭和三十八年九月     防火水槽一基設置(二十立方メートル級)
  昭和三十九年二月     は大洋漁業より小型動力ポンプを寄贈される
  昭和四十一年九月     防火水槽二基設置(二十立方メートル級)
  昭和四十二年五月     消火栓三基設置
  昭和四十二年六月     小型動力ポンプ購入
  昭和四十二年十月十五日  村民待望の消防ポンプ自動車購入
  昭和四十三年四月     消火栓三基設置
  昭和四十四年五月     消火栓三基設置
  昭和四十四年十月     防火水槽一基設置(四十立方メートル級)
  昭和四十五年四月     消火栓三基設置
  昭和四十五年六月     防火水槽一基設置(四十立方メートル級)
  昭和四十五年九月     防火水槽一基設置(四十立方メートル級)
  昭和四十六年六月     消火栓六基設置
  昭和四十六年七月十日   小型動力ポンプ二台購入
  昭和四十六年十一月    防火水槽一基設置(四十立方メートル級)
  昭和四十七年四月一日   役場消防隊結成(隊員二十名)
  昭和四十七年四月     消火栓四基設置
  昭和四十七年五月十日   予備消防隊結成(隊員二十五名)
  昭和四十七年九月二十八日 小型動力ポンプ付積載車購入第二分団に配置
  昭和四十七年十一月十七日 北海道知事ヨリ竿頭綬を受賞
  昭和四十八年三月二十六日 銚子地区婦人消防隊結成(隊員十名)
  昭和四十八年七月二十日  防火水槽一基設置(二十立方メートル級)
  昭和四十八年九月二十八日 小型動力ポンプ付積載車購入第三分団に配置
  昭和四十八年十一月二十日 防火水槽一基設置

[表]