この時の様子について、昭和三十七年七月一日付の「北海道新聞」(要約)は次のように記している。
恵山に爆発の兆候
採鉱作業員も退避、立ち入り禁止
一日午前七時ごろ同山山頂の恵山硫黄株式会社恵山鉱業所の第二鉱区噴気口(直径約十五センチ)が広がり、黄硫があふれて燃え出し、煙が紫色に変わっているのを作業員が発見した。このため十勝岳噴火の例もあるので同九時作業員は二キロ下の同所事務所に全員退避した。
連絡を受けた同村役場は函館海洋気象台に調査を依頼するとともに、恵山一帯の登山を禁止し、地元消防団員五十人の出動を求めガンコウランの実を採取に登山していた地元の婦人約百人に下山を呼びかけ同十一時までにほぼ下山を終えた。
一方函館海洋気象台でも五十嵐測候課長、峯脇技官を派遣、午後零時半から渡島支庁の阿部総務課長らとともに山頂に登り噴気口の調査を始めた。
現場にいた作業員達の話によると噴気口の周辺にキレツが生じ、発火した黄硫が五六メートル帯状となって流れ、付近には大きな石がゴロゴロころがっているなど前日とは、様子がすっかり変わっていたという。