明治四十二年一月二十六日帝浄丸、恵山岬付近で暴風雪のため引返す途中、釜谷沖に座礁し、翌二十七日朝までに破壊される。この時の様子を当時の新聞は次のように記している。
明治四十二年一月二十八日 函館毎日新聞
○滊船帝浄丸の破壊
滊船帝浄丸は一昨日午前六時頃大吹雪の為め針路を誤り亀田郡小安村字釜谷沖合の暗礁に乘揚げ救助の為め滊船後志丸は廻航せることは昨日の紙上に記載せるが今其後の状況を聞くに同船は恵山岬附近を航行中吹雪烈しき為め航行する能はず途中にて引返せるも吹雪は依然として激烈にして咫尺(しせき)を辨せず遂に針路を誤り一昨日午前六時に至り小安村字釜谷沖約八十間の個處の岩礁に乗揚げたれば非常滊笛を鳴すと同時に船員一同は必死となり救護の方法を講じたるも風は愈々強く波は益々烈しくなり來りて船体甚しく動揺し遂に前檣船底より烟筒の下部船底右舷を破壊され船体は右舷に傾斜して浸水甚しきにより船員は陸上消防夫の救護により上陸せるが貨物は七八十個を揚げたるのみなるも風波激しくして救護の道なく其のまゝとなし居りたる早朝に至り船体は左舷に傾斜し兩舷共に岩礁に打ち着けられ蜂の巣の如くなりて全く破壊せる由