[戦後の村政]

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 敗戦は全国民に大きな戸惑いと混乱をもたらしたが、民心の安定に当たる村当局は、行政をすすめる指針を失ってどうすることもできない状態になった。
 昭和二〇年九月三日、各町村長あてに次のような〓文書が入った。
 
     現下行政ノ重点ニ関スル件
   戦後復興ニ対スル第一線行政責任者ノ責務ハ愈々加重セラレ候処就中食糧(農水産共)ノ供出ニ付テハ特ニ困難ナルモノ有之ヘク候モ時局急変ニ伴フ本年度ノ深刻化セル食糧事情ニ鑑ミ行政ノ當面ノ重点ヲ食糧供出ニ集中シ其ノ總力ヲ傾ケ以テ之ガ打解ニ格段ノ努カヲ効サレ度候也
 
 物価の暴騰は、俸給生活者にとって生活苦を強いられることになった。
 昭和二〇年一二月、臼尻村長東出快次郎より村内各部落会長にあて、部内官公署員に対する年末慰労金贈呈方に付依頼状を送っている。
 
   御承知ノ如キ現下ノ物価騰貴ハ各官公衙奉職者ノ生活ヲ極度ノ困窮ニ陥レ実ニ容易ナラザル状態ニ有之候ニ付テハ此際部落内郵便局員水産物検査員其ノ他関係ノ向ニ対シ日頃ノ労ヲ謝スル意味合ニ於テ応分ノ年末慰労金ヲ贈呈致度存候条貴部落ニ於テ左記金額寄附供出方可然御取計相煩度此段特ニ及御依頼候也
   追テ学校職員ニ対スル分ハ地方費並ニ村費ヨリ支給額ニヨリ大体宣シキモノト存ゼラルルニ付除外致シ候條御了承相成度
   尚贈呈ノ都合モ有之ニ付本月二五日迄ニ金子当場へ御届ケ相煩度申添候
 
 各部落への希望割当額は臼尻六八〇円、大船三八〇円、安浦三九〇円、双見(磯谷)一五〇円と記されていて、その合計額は一、五〇〇円である。
 このときの官公署への配分は臼尻郵便局、大船郵便局、水検、巡査駐在所などであった。
 戦争中、村長の役職にあった者は、戦後戦争協力者のリストに挙げられ、尾札部村長藤本卯太郎と、臼尻村長東出快次郎は公職を去らなければならなかった。この公職追放で全国約一〇万人の市町村長がその地位を去ったという。
 町村長の退職にともない、各町村では助役が村長代理となり、春の民選までつづいた。